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Full text of "Taiwan Kangyō Kyōshinkai kinen Taiwan yōran"

UNIVERSITY OF 
ILLINOIS LIBRARY 
AT URBANA-CHAMPAIGN 
ASIAN 



Digitized by the Internet Archive 




in 2013 







http://archive.org/details/taiwankangyokyosOOunse 



to 



女 



r 本書 は領 臺以來 二十 年間に 於け る 臺灣の 進 步發達 を廣く 紹介 せんが 爲め 

に 開設され たる 臺灣勸 業 共 進會紀 念と して 刊行せ る ものな り 

r 本書 は 可成 一 見 其 要頜を 得ん こと を 期せる 爲め谷 章に 於て 極めて 簡單に 

其 沿革 を 記述し 次ぎに 谷 種の 統計 を 添へ たり 

ズ 本書 は 生と して 臺灣 に對 する 槪念 を與 ふるの 目的 を 以て 編纂した る もの 

なれば 臺灣 在住者 は 勿論 1 般 人士の 爲め にも 亦 好 箇の參 者 書な. 9 

大正 五 年 三月 



七 六 四 四 九 八 四 〇 八 六 四 一〇 六 三 ん 直 



灣 要覽, 目次 



第 一 章 一 

第二 章 i 

第 三 章 一 

第 四 章 

第五 章 一 

第 六 章 一 

第 七 章 

第 八 章 一 

第 九 章 一 

第 十 章 一 

第 十一 章 一 

第 十二 章 一 

第 十 三 章 一 

第 十四 寧 

第 十五 章 一 

第 十六 章 一 



土 地 

林 野 • :.: 

地方行政 區劃 附 行政 機關 

氣 象 

m 口 * :.: 

敎 育 :• 

社 寺 

裁 判 

警 察.. 

蕃 務 

監 獄… 

農 產 附 移民 

畜 產 :…. 

水 產 

鑛 產 …: :。 

ェ 業 



第 十七 章 

第 十 < 章 

第 十九 章 

第二 十 章 

第二 十】 章 



第二 十三 章 

第二 十四 章 

第二 十五 章 

第二 十六 章 

第二 十七 章 

第二 十八 章 

第二 十九 章 



電 氣. 

金 融. 

貿 易- 

鐵 道. 

道 路. 

郵 便. 

電 信- 

電 話- 

築 港 _ 

財 攻. 

衛 生" 

專 賣. 

市區 改正. 



澎 臺 




湖 




列 




島 灣 


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緯經 緯經 


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北 南西 東 北 南西 東 


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湖 湖 湖 湖 北 維義北 
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吉網水 林 彭 至尖桷 
貝 垵垵投 佳 厚 山 花 

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目 網花査 北 七 新 東 
斗 大嶼母 端 星 港 端 
嶼 嶼西嶼 岩庄 

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第一 寧 土地 

^ 地勢 臺灣 は臺灣 本島 及膨湖 列島 拉 之に 附屬 せる 島嶼よ.^ 成, - 北緯 二】 度 四 五分に 起り 二 五 度 三 八 分 

に 終. -柬經 一 一九 度 一八 分よ b 一二 二度 六 分に 達す 周 園 三 九 八 里 面積 二、 三 三 二方 里 を數へ 其の 面積 殆ど 九 

州と 等し、 經 緯度の 極點 及周圍 面積 を 表示 すれば 左の 如し 

經 緯度の 極點 



經度は 英國綠 威^ 以て 基點 とせる 東經 にして 緯度 は 北緯な リ 

周圓及 面積 



^ 地形 東西に 狭く 南北に 長し 一 帶の 脊梁 山脈 本島の 中央 を 南北に 連 貫して 東西の 分水嶺 を爲 し河溪 の流路 凡て 

C 長から や 其の 二十 里 以上 を 流る X 河川 は 烏溪、 大安 溪、 卑 南溪、 曾 文溪、 淡水 河、 大 甲溪、 下 淡水 溪、 濁水 

溪な. - 就中 濁水 溪の 流路 最長く して 三十 九 里に 及ぶ 溪流 は槪ね 水源 近く 其の 勾配 急激な b 山嶽の 高き は 新 高 

山、 秀姑巒 山、 シレノ ビヤ 山、 南 湖 大山 b 東 郡 大山、 寄萊 大山 • 合歡 山、 能 高山 等に して 皆】 萬 尺 以上な り 新 

高山 其の 最高 を 占め 海拔 一 三、 〇 七 五 尺の 高き に 達す、 西 半 部の 卒地 は廣、 拓 けて 地 * 槪 して 滋厚 中央 を縱斷 

せる 高崚 なる 深山に は 千古 未だ 斧戯の 入らざる 森林 深く 館せ b 

に 使用 地面 積 最近の 調査に 係る 使用 地總 面積 は 八 五 〇、〇 七 四 甲 ( 一 甲 は 九 段七劍 二十 四步) にして 內 

有 ffl 地 六 六 二、 一 九 三 甲 無租地 一 六 九、 四 〇〇 甲 其の 他 荒 地 免租 年期 地 一 八、 四 〇 九 甲 開墾 免租 年期 地、 〇 七 一 一 

甲な り 

y 埤圳と は 田園 灌漑の 爲に 設けられ たる 水路 溜池 等 を指稱 する ものにして 農業 を 以て 經濟の 基礎 

となし殊に米作本位を採,^來れる本島に在,0^ては坤圳の設備經營は實に重要事項に屬す領臺前に於ける坤圳 

の 起原 を尋 ぬるに 稀れ に は 官府の 企畫に 係る ものな きに 非る も槪 して 民 設に係 6, 或は 灌漑 田園 主の 共 開設 

に 成る もの あり 或は 灌廳 を爲 すと 共に 灌漑 田園より 水租 を徵收 する 目的 を 以て 營利 的に 一 人 若く は數 人の 企 

. 業に 係る もの あり 其の 灌漑 面積の 廣 きものに 至. > て は 萬 甲 を 超え 本島 米作 一 年の 收獲 領臺當 時に 於て 四百 萬 

石に 近 か. 9 し は 偏に 婢 圳の惠 漯に歸 すべし と雖 其の 施設 經營 は單純 姑息 を 免 かれす 社 會進步 の 機會に 伴ひ產 

業發! ^の 趨勢に 應 せしめん とせば 之 を 在來の 儘に 一任すべからざる を 以て 明治 三十 四 年臺灣 公共 婢圳規 W の 

發布ぁ b 公共の 利害に 重大の 關係 ある 坤圳 は廳 長の 認定に 因り 公共 埤圳 として 監督 せらる. - こと.^ なれり 此 

の 規則に 依り 認定せ る 埤别は 三十 四 年に 於て 二 一 其の 灌漑 面積】 八、 〇 三 八 甲な りしが 年と 共に 其の 數を加 

へ 來 れ.. ^左に 其 坤圳數 及 灌漑 面積 を 表示 すれば 左の 如し 



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斯くて 近時 產業 發展の 機運に 伴 ひ灌微 施設の 改良 益々 緊切 を 加へ 坤圳の 新設 改良 を企畫 する もの 少 からす 政 

府も 其の 工事の 難易 關係 人民 資力の 厚薄 等 を 斟酌し 工費の 幾分 を 補助し 來れ. 9 然れ ども 尙ほ 時代に 適應 する 

大規模の 計畫は 之に 要する 费額も 亦 多く 資力 十分なら ざる 公共 坤训 又は 農民 箇々 の經 營に委 する も 到底 十分 

, の 目的 を 達し 難き もの あ..^ 是に 於て 政府の 灌漑 事業に 於け る is+ に 保護 監督 を爲 すに 止まらす 自ら 進で 之が 施 

設經營 に 任せざる ベから ざる 必要 を 認め 明治 四十 一 年度 新に 官設 坤圳の 制 を 設け 同年 度よ b 十六 箇 年に 一旦り 

三千 萬 圆の繼 續費を 以て. 水利 事業 を經營 する こと X なれ b 卽ち 全島 を 通じ 官設 坤圳 として 起さ る \ もの 十四 

箇所、 其の 中 十二 婢 圳は有 • 接 河溪の 流水 を 引用し 他の ニ埤别 は溪流 を埴き 留め 降雨 期に 於け る 雨水 を貯 溜し 

旱燥 期に 於け る 灌漑 用に 供す る こと. -し又 本 工事に 附帶 して 水路の 落差 を 利用し 水力 電氣を 起し 重なる 市街 

地の ® 用 及 工業用に 充 つるの 計畫 にして 其の 灌漑 面積 一 一八、 〇〇〇 甲 電力 一 萬 七 百 五十 馬力 を 得る の豫定 

な,..^ 若 夫れ 工事 完成の 曉は十 一 萬 八千餘 甲の 田地 悉く 一 年 ニ囘の 米作 をな し 得る ものと す 

第二 章 林野 

一 林野 面積 本島の 林野 は實測 未了の 部分 多く 未だ 其の 面積の 確數を 知る を 得すと 雖 本島の 總 面積よ- - 

田園 其 他 林野 以外の 面積 を 除去し 槪算 したる もの (但し 道路 川 敷 等 を も 合む) 二、 九 二 七、 一 〇 九 町に して 其內 

^ 保安林 七 一 、 一 三 九 町 其 他の 林野 二、 八 五 五、 九 七 〇 町 なり 更に 之 を 日本 本土、 樺 太、 朝鮮の 林野に 比較 すれば 

C 次の 如し 



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一一 一一 13 九 七 

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此 くの 如く 本島 林野 面積 は 河川 區域を 包 合すと 雖 其の 陸地の 大部 は 林野 を 以て 占め 而 かも 其の 割合 は S 太 を 

除き 朝鮮 及 日本 本土に 勝る こと を 知るべし 

n- 林野の 分布 本島の 南半 は 熱帶圈 にして 北半 は 暖帶圈 なりと 雖黑 潮の 大 暖流 は 全島の 氣温を 高め 此の 

兩部 をして 殆ど 同 一 の 淼林帶 たらしめ 水 1^ 的 森林 帶 上より せば 全島 を 通じ 熟帶 林と 稱 する を 得べ し然れ ども 

森林 帶 なる もの は 主として 氣 候の 變 化に 依,. > 支配 せらる \ もの なれば 山の 高く に 上る に從ひ 自然 植物 繁 S の 

態樣を 異にす 而 して 本島 森林 帶の變 化 は專ら 垂直 的に 著しき 關係を 有せり 



是等 森林 梳物帶 と 其の 面積の 割合 を 示せば 左の 如し 



斯く 本島 は 熱帶林 及暖帶 林の ニ帶 大部 を 占め 各帶 共に 林業 上の 價値 頗る 大 な- 



同 同 同 同 同 明 
治 

四 四 三 三 三 三 



十 


十 


十 


十 


十 


十 




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四 造林 明治 三十 三年 度殖產 局に 於て 樟腦 造林の 實 行に 著 手せ b 以來 逐次 造林の 發達を 見る に 至れり 左 

に 之 を 表示す (民營 造林 は樟林 以外の 調査 を 欠く) 



大 明 
正 治 

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五 林 產物處 分 明治 三十 六 年以來 官有 森林 原野 及產物 特別 處分 合妓 官有 森林 原野 產物賣 渡 親 則に 依. -處 

分した る もの を擧 ぐれば 左の 如し 



^ 林野 經營 當局者 は 本島 林野の 開發に 關し銳 意之が 經營に 任じ 且諸 規則 を 制定し 民營 上に 諸 稀の 便宜 

を へ 著 々拓殖の 實を 暴げ つ あり 今 左に 官有 林野 貸 渡 及 豫約賣 渡の 槪况を 表示 せん 



明 治 四十 四 年 

大正 元 年; 



の 許可 數— 

面積 (甲) 



各 年 I. 末 現: i 

12 九 一 

3 一一 一 <、i 



—當該 年中. 

—件 li 數 1 



—許 可 數 



nil 一、 一一 11^ 

七 2 九 一 



六 森林 試驗及 林野 整 狸 本島 は敍 上の 如く 熱帶 より 塞帶 までの 谷地 帶を 有する を 以て 當局 は內外 國產有 

( 用 植物の 移植、 造林 及 森林 保護 i 級 利用、 種苗 改良 等に 關 する 事項 を 研究 せんが 爲 林業 試驗場 を臺 北に 其の 支 

場 を 嘉義及 阿猴に 設置せ り 又 林野 整理 事業 は 四十 三年 度 以降 全島 中 急 施 を 要する 臺東、 花 蓮 港、 南投、 臺中 

谷廳の 調査に 著 手し 大正 元年 豫定の 通. 9 查 了し 引續き 爾余の 各 廳に對 しても 亦其經 費を增 加し 其 地籍 を 明に 

せんとし 今や 略 之 を 完了せ.^ 要するに 天惠 無比なる 本島の 林業 は 永く 現狀 に停滯 する を 許さす 其の 將來實 に 

有望 圖る ベから ざる もの あ, CN 

、 第三 章 地方行政 區劃 (附 行政 機關) 

地方行政 圊劃は 二十 八 年 以來八 次の 變遷 を經て 今日に 至れり 現在の 區劃は 四十 二 年 十月の 改正に して 全島 

を臺 北廳、 宜 蘭廳、 桃園 廳、 新 竹廳、 臺 中廳、 南 投廳、 嘉 義廳、 臺 南廳、 阿 總廳、 臺 W 廳、 花 蓮 港廳、 5§ 湖 

廳の 十二 廳に 分ち 谷 廳に廳 長 (奏任 一 人)、 屬, 警部、 抜 手、 通譯、 警部補 等の 職員 を 置く 又廳長 は廳の 事務 

を 分掌せ しむる 爲臺灣 總督の 認可 を經て 支廳を 置く こと を 得 支 廳長は 事務官、 警視、 屬、 警部 又は 技手 を以 

て 之に 充 つるの 制度な,? K 正 三年 度に 於け る 吏員 は 總督府 及 所 屬官廳 九、 六 <〇 人、 棒 級 年額 四、 四 六 四、 二 五 

〇 圓 地方 廳 一 六、 一 〇〇 人 俸給 年額 四、 八 四 七、 一 三六圓な..^之を階級別にすれば勉任 】. 四 人、 奏任三 1 〇 人、 

同 待遇 二 五 人、 判 任 四、 四 一 六 人、 间 待遇 九. * 一 三 七 人、 囑託四 一 一 人、 雇傭 人 一 一 、四 六 七 人な.^ 

支廳の 下. に街庄 社と 稱 する 行政 區劃 あり 內 地の 市 阿村に 對 する ものにして 較々 小な b 街庄 行政に 關 して 三十 

年 勅 4^ を 以て 街庄 社に 長 を 置き 一 定の 事務 費 を 給し 地方 長官の 指揮 命令 を 承け 部內の 行政 事務 を 補 助教 行せ 

しめた b しが 時勢の 進 運に 俘 ひ 改正の 必要 を 認め 四十 二 年 九月 現行の 街 庄社區 長 制度 を 定め 區長 事務 費、 區 

書記 手當の .SI 分 を 明かに し區 長、 書記 を 判 任 待遇と 爲し尋 で 吏員 採用の 資格 を 限定す ると 共に 區長 職務 親 程 

を 改正し 又當 1 羽 地方 長官の 權限內 に 在りし 區の 名稱及 其の 區域內 の街庄 社名 區長 役場の 位置 は 臺灣總 督之を 

定 むる ことに 改め 更に 律令 を 以て 保 甲 條例を 改正し 保 甲 役員に. 區 長の 事務 を 稀 助 執行すべき 事項 を 定め 孰 も 



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嘉南臺 新 桃宜臺 








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四十 三年 二月よ b 實 施し 下級 行政 機關の 一 大 改革 を 行 ひた h. 廳の 位置 管轄 區域及 ゃ廳所 54.1 地 等を揭 ぐれば 次 

表の 如し 

廳の 位置 



臺 

南 







北 

XL 

投 



所在地 



大加蚋 保^ 臺 北城內 

本 城 堡 蘭 街 

桃涧堡 桃圜街 

竹 北 一 堡新竹 街 

藍 興 堡臺中 街 

南投堡 南投街 



東 







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11 一一 ま 01 

一 1 二. K. 囊 

一一 一 so. 一一 



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緯 



1M.011. 一一 一六 一 

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嘉 

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蓮 



所在地 



嘉義西 堡嘉義 街 

臺南市 

港 西 中 里 阿 維 街 

南 鄕卑南 街 

蓮 鄕花蓮 港 街 

東西 湾 媽宫街 



東 







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一 一一 ー.ーモ ハ M 

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1111, 丑 九. 11 一 ハー 

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表 中の 里程 は 臺灣木 島の 離島 ^算入せ す 

鼷の 管轄 區域 



影 花臺阿 臺 嘉 南臺 新 桃宜臺 

蓮 廳 

湖 港 東 縦 南 義 投中 竹 園 蘭 北 



管轄 區域 



大加 蚋堡、 播接堡 、興 直堡、 八里タ 土堡、 i 之 蘭 一 堡 、芝 蘭 1 1堡>^之蘭111堡、金包里堡、石^^堡、基隆堡、三貂堡>文山堡ノ內宜蘭廳所屬チ 

除キ 一 圓、 基 隆嶼、 彭佳嶼 、桷花 1 人 花瓶 嶼 

本 减堡、 as; 山堡、 浮 洲堡、 淸水 溝堡、 紅水瀵 壁、 羅東堡 、利 澤澗堡 、茅 仔 蘩堡, 二 結堡、 民 壯圍堡 、四 圍堡、 頭 圍堡、 文 山 堡ノ內 坪 林 尾 

庄、 灣潭庄 、坑. 仔 ロ庄、 鱗 魚 掘庄、 水聳凄 坑庄、 九芎 林庄、 厚德崗 坑庄、 大粗 坑庄, 鷺 ift 庄、 楣仔蔡 庄、 大舌 湖庄、 柑脚 坑庄、 澗瀨庄 

桃 涸堡、 海山 堡, 竹 北 二 堡ノ內 新 竹 廳所屬 チ除キ 一圓 

竹 北 一 堡、 竹 北 二 堡ノ內 五 份墻庄 、四 座 屋庄、 擰 樹林 庄. 旱坑 仔庄、 田 新庄、 坊蔡庄 、新埔 街、 大半 萵庄、 打鐵 坑庄、 水 坑庄、 鹿鳴坑 

庄、 照 門庄、 大评庄 、大茅 埔庄、 崩 披下庄 北 萵庄、 長崗 嶺庄. 大湖 ロ庄、 糞 箕窩庄 、羊 喜 窩庄, 上 北 勢庄、 下 北 勢庄、 和 興庄、 德 盛庄, 

波 羅ぼ庄 * 番仔 湖庄, 抨項 埔庄、 鳳 山 崎庄, 福 興庄、 靑埔 仔庄、 後 湖庄" 崁頭庄 、中 崙庄、 新 庄仔庄 、紅毛 港庄、 晨山庄 、坑仔 ロ庄、 大眉 

庄 、猫 兒餘庄 、竹 南 一 堡、 苗 栗 一 堡、 苗 栗 ニ堡、 探 東上 堡ノ內 罩蘭庄 、大 抨林庄 

藍 興堡, 揀 * 上 堡ノ內 新 竹 廳所屬 チ除キ 一 圓、 探 東 下堡、 苗 栗 三堡、 大肚 上堡、 大肚 中堡, 大肚下 壁、 猫 羅堡、 線 東堡、 線 西堡、 馬 芝 

堡、 燕 霧 上堡、 燕 霧 下堡、 武 東堡ノ 內南投 廳所屬 チ除キ 一 圓、 武西堡 、東 螺東堡 、東 螺西堡 、二 林 上堡、 二 林 下堡、 深耕 堡 

南 投堡、 武東堡 ノ內皮 仔 繋 圧、 赤 水庄、 弓 鞋庄、 松柏 坑庄 1 項 新 厝庄、 廊下 庄, 施 厝坪庄 北 投堡、 北 港 溪堡、 埔虽 社堡、 五城 堡、 集 集 

堡、 沙連 下堡、 沙連堡 、鯉 魚頭堡 

嘉義四 保 f 嘉義 柬堡、 大目 根堡、 打 猫 東 項堡、 打 猫 東 下 打堡、 打 猫 南堡、 打 猫 西堡、 打 猫 北堡、 白 沙敏堡 、大 田堡、 他 里 霧堡、 斗 六 

ST 溪洲き 西 螺堡、 布 嶼堡、 海 豐堡。 尖 山堡、 蔦 松堡、 大槺鄉 東 項堡, 大槺鄉 西堡, 牛 裯溪堡 、柴頭 港堡、 大槺鄉 東 下堡、 鹿 仔 草堡、 大 

s% 田 西 保 r 白 鬚 <ム 潭堡, 龍 蚊 潭堡、 髓水 港堡、 太子 宮堡、 鐵線 橋堡、 巣毅後 堡、^ 囉曜 東項堡 、侈. 曙 蟈東下 堡、^ 囉蟈 西堡, 下茄 、南 

堡、 下茄 苳北堡 , 

臺南 市、 效忠 里、 外武定 里、 內武定 里、 安定 里東堡 "新 化 里 西堡、 善 化 里 西堡、 薜登堡 、西 港 仔堡、 蕭瀧 堡、: 滌汪堡 • 學甲堡 、佳 里 ® 一 *!、 

茅 港 尾 東堡、 茅 港 尾 西堡、 赤 山堡、 善 花 里 東堡、 楠 粋 仙溪西 ar 內新化 南 里、 外 新 化 南 里、 新 化 東 里、 新 化 北 里 * 新 化 西 里、 大目 降 里、 

廣儲柬 里、 廣儲西 里, 保 東 里、 保 西 里、 長 興 上 里、 長 興 下 里、 永 康上中 里い 水康: 卜 里.. 仁 和 里, 新昌 里、、 水 寧 里、 文. 賢 里、 仁德南 里、 仁德 

北 里、 歸仁南 里、 歸仁北 里、 永豐 里、 外新豐 里、 內新豐 里, 祟德西 里, 依仁 里 、墓 治 一 圖里、 ifts ニ圖 里、 維新 里, 嘉祥外 里、 仁壽上 里, 

仁 壽下里 *觀 音 上 里、 觀音中 里、 觀音內 里、 觀音下 里、 半屏 里、 興隆 外 里、 興隆 內里、 赤 山里 ,大 竹 里, 鳳 山 下 ST 鳳 山上 里、 小 竹 下 里" 

小 竹 上 里 

港 西 中 里、 港 西 上 Bf 楠 梓 仙溪東 里、 羅漢 外 門 里、 羅漢 內門 里、 祟德東 里、 嘉祥內 里、 港 西 下 里、 新 園 里、 港 東上 里、 港 東 中 里、 港 東 下 

里、 琉球嶼 、嘉禾 里、 善餘 里、 成昌 西、 興 文 里、 仁壽里 1 曰 一 化虽, 宣化里 ノ承靖 里、 殆平 里、 泰慶 里、 長樂 里、 安定 里, 至 厚 里 

南鄉、 廣鄉、 新 鄕ノ內 花 蓮 港所屬 チ除キ 一 圓、 姑 仔 律庄、 火燒島 

蓮鄉、 奉鄉ノ 內臺東 廳所屬 チ除キ j 圓、 新 鄉ノ內 公 埔庄、 緒 港 埔庄、 頭 人 埔庄、 大庄 

東西 港、 薛萍 t 、林投 if 南蔡. f 、鼎灣 港 •ISIir 鎭梅 櫸 、赤 崁溥、 通、 吉貝溥 、西嶼 漕、 網 坡溥、 水坡 溥 



支廳 所在地 



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山山 澗 山 園柬洲 



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大三通 苗 南 頭 新樹北 成 楊 三大興 抨頭羅 9^1 



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大深雙 基 水 下 淡 士新枋 錫 

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店 鹽項樸 北西 斗 土 打 竹 中 
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春 山 蘩港州 蔡里墻 港 山狗坑 店廟降 陴甲嶼 櫳莖裡 



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羅楠楠 港 大興觀 仁 外 大楠赤 學蕭蔴 善 

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春 山 蘩港州 



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^ 頭坑店 廟降畔 T 嶼^ 



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花 蓮 港 僕石閣 

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鄉 成 廣溥庄 



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堡 Sf: 數の 合計 は 二 一 五なる も 中 六 は 兩廳に 分屬 せる. て 實數は 二 〇 九な リ 

第 四 章氣象 

本島 は 熱帶と 亞熱帶 とに 跨る を 以て 暑 期 長 く? -て寒 期 短し、 最高 温度の 華氏 九十 度 以上に 昇る は 早き は 四 

月に 於て し 又 其 遲きは 十月に 於て する こと あり 最暴は 七月、 最寒は 二月 を 例と す 酷暑 期に 際して は 連 tEL 華氏 

九十 五 度 前後に 達する も 冬期 は氣候 温和に して 北部と 雖結霜 稀に 降雪 は 唯 高山 頂に 限らる 十月より 翌年 三月 

に 至る 間 は 北東 季節風 強く 北部 は 其の 影響 を 受けて 降雨 連 月天氣 陰鬱なる も 南部 は 此の 期間 降雨 少なく 臺中 

以南に 在りて は天氣 常に 晴朗な.^ 而 して 四月よ. 9. 九月に 至る 間 は 南西 季節風の 時期に して 南部 ぼ 此の 期間に 

雨量 多く 北部 南部の 雨期と 晴 期と-は 互に 相反す 冬季 北東 季節風の 吹き荒む 期間 は 近海の 風浪 高き も 夏期 は 暴 

風の 時 を 除きて は 海上 1^ 穩な. 】 年 を 通じ 海上 最も 卒穩 なる は 四月よ-.^ 六月に 至る の 三 箇月 間な り而 して 測 

候 所は臺 北、 臺中、 臺南、 臺東、 恒春、 膨 湖島、 社蔡 島の 七ケ 所に あり 其 他 暴風 警報 I 所は臺 北、 淡水、 

基隆、 頭 園、 蘇 清、 後 壇、 塗 葛 堀、 鹿 港、 下 湖 口、 ま 石 港、 布袋 嘴、 安平、 打狗、 東 港、 鵞鑾 鼻、 卑南、 花 

蓮 港、 涵 湖島の 十八 ケ所 を數ふ 大正 三年 度氣 象槪況 左の 如し 



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第 五 章 戸 口. . 、 

本島の 住民 を 大別して 內地人 本島人 及外圃 人の 三稱と 爲す而 して 內: f 人は槪 ね領臺 後母國 より 移住せ し 者 

に 係.. -本, 人 は 其の 多數は 支那 民族に して 今 を距る 三百 餘年 前よりの 移民に 係. > 其の 原 住 地 又は 祖先の 稀-族 

により 之 を 福 建 人 廣柬人 其 他の 漢人に 細別す 外に 熟蕃 生蕃の 二 あり 共に 馬^ 人種に * し 其の 移植 最古し 而し 

て 熟蕃は 今や 文明の 程度 殆ど 支那 民族と 擇ぶ 所な きも 生蕃 は今尙 多く 未開に して 殊に 或る 種族 中には 馘首の 

蠻 風 g,E に 行 はれ 全く 野 蠻の狀 態を脫 せす 外 國人は 其の 多數は 支那 人に して 歐米人 は 其の 數甚 少なし 

一 ta, 口 明治 三十 四 年 十月 一 第 一 囘 臨時 u; 口調 查を行 ひたる が 昨年 十月 一 日 更に 全島に 亙. て 第二 囘 

の 調査 を 行 ひなり 今 大正 三年 末に 於け る 全島 數 及び 人口 を晃 るに 數六 七三 •〇 七 六 tr^ 、人口 三 • 四 六 八き 七 

】 九 人に して 內內地 人 は 一 四 一 *八 三 五 人、 本島人 三 • 三 七え 二 〇1 一人、 外國人 一 九 • 五八 1 一人と す 今 左に! 二 

年末に 於け る谷廳 別人 ロ及蕃 a の 口 を 表示 せん 

< 谷廳 別人 口 (行政 區 域內) 




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二 人口の 疎密 本島の 全面 積 は ニニ 二三 二方 里に して 其大さ 略々 母國の 九州に 等し 今 大正 三年 末 本島人 

n 三、 四 六 八、 七 一 九 を 之に 算當 すれば 一 方里 人口 早 均一 一人と 八 〇 四に して 之 亦 九州の 夫に 該當す 更に 之 を 地 

方に 依. >て^ 別 すれば 湖廳 は最密 にして 臺 北廳、 臺 中廳、 臺南廳 順次 之に 次ぎ 臺東廳 及 花 蓮 港 廳卽ち 東海 

岸 一 帶の 地方 は 最も 疎な,^ 明治 四十 三年 末に 於け る 谷廳の 人口密度 ( 一 方里に 付人 口) は臺北 四、 八 二 五人宜 

蘭 三、 1 1 一 〇 人祧 園 三、 四 八 七 人 新 竹 1 一 、九 六 七 人臺中 四、 〇 一 四 人南投 一 、五 〇 三 人嘉善 一、 六 七 一 人臺南 三、 

七 七 六 人 阿 総 一 、八 二 六 人 臺東四 五 四 人 花 蓮 港 四 四 四 人澎湖 七、 一 四 四 人な. り 

三 人口 】 萬 以上の 市街 本島の 市街地に 於け る 人口の 密度 は 甚だ i 逸な りと 云 ふべ からざる も 總督府 の 所 

在 地た る 臺北は 城內、 艋^、 大稻埕 の 三 市街よ b 成り 人口 約 十 萬 を 有し 金澤 市に 略々 同じ 今や 市區 改正 其 他 

各般の 設備 殆ど 間然す る 所な く 母國に 在りても 多く 其の 比 を 見す 又 南部の 臺南市 は 和 蘭人 占據 時代より 久し 

く 本島の 首府と して 發 達した る 所に して 人口 約 六 萬 を 有し 母 國の新 潟 市、 德島 市の 人口と 伯仲し 且歷 史的 舊 

跡 又は 大 建築物に 乏しから す 殊に 近時 製糖業の 勃興 は將來 益々 同市 を繁榮 ならしむ るの 傾向な り 大正 三年 末 

に 於け る 人口 一 萬 以上 を 有する 市街 左の 如し 



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第 六 章 教 育 

全島 學 事に 關 する 】 切の 行政 は總暂 府學務 部に 於て 之を統 一 掌理し 地方 廳には 庶務課 中に 學務 係長 學務主 

任 を 置きて 學 事事 務を擔 任せし め 下級 行政 機 關の區 長 及學務 委員 は S 學 校に 關 する 事務 を 分掌せ、 91 初等 敎育 

に は小學 校、 公學 校、 蕃人 公學 校の 三種 あり 中等 敎 育に は 中學、 l^立中學及高等女學校の三種ぁh^特種敎育 

に は 國語學 校、 醫學 校、 工業 講習 所 t 警察官 及 司獄官 練習所 あり 又 農事 試驗 場に 於て は 農事 講習 生 を 養成し 

糖 業試驗 場に 於て は 糖 業 講習 生 を 養成す る機關 あり. 其 他 本島人の 私設す る 書房 內 外人の 設置せ る 谷 種 私立 學 

校 も 亦敎育 機關の 一 に算 する を 得べ し 要するに 本島に 於け る敎育 機關は 其の 制度と 共に 漸く 發展し 殊に 國民 

敎 育に 於て 最も 著る しきもの あ、 り 

一 一 g 等數育 ィ小學 校 は 地方 廳の 管理に 屬 し谷廳 一校 又は 數校を 設立し. 專ら內 地 人の 學齡兒 童 を敎育 

す小學 校の 設けな き 地方に 居住す る 內地人 學齡兒 童 は 附近 公學 校內 に收容 して 敎員 派遣 敎授の 便 を 圖れ. 

公學校 公學校 も亦廳 長の 管轄に 扇し 本島人に 對 する 一 g 等敎 育機關 なり 其の 就 學に關 して は 敢て强 制せす 學 

校の 設立 も銜庄 社の 任意に 依り 總督之 を 認^す るの 制度な, 9 ハ 蕃人 公學校 蕃人の 子弟 を就學 せし むべき & 

學校も 亦 地方 廳の 管理に 屬し 土地の 情况に 依, り 總督之 を 設置せ しむ 修業年限 II 箇年 にして 修身の 要 30: を 授け 



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一 結婚 三 三、 九 七 七 組 離婚 四、 六 六 四 組な. 9 最近 四 年間に 於け る 人 □ 千に 對 する 割合 左の 如し 



年 



次 



生 



產 



死 



產 



結 



婚 



離 



婚 



主に 國語 算術 を 敎へ且 耕 転 稼 檣の 法 を 習 はしめ 人間 生活の 道を辨 知せ しむる を 本旨と せり 阿緩臺 *^ 及 花 蓮 港 

の 三廳に 設置せ る該 學校數 合計 十七 校な り 其 設置 區域は 蕃族 中 比較的 温順なる 「パイ フン」 「ピ ュ マ」 「アミ 三 

稀 族の 棲息 地域に 局限せ り • 

n 中等 敎育 ィ中學 校 は 總督府 の 直轄に して 第一 部 第二 部に 分ち 第二 部の 學科及 生徒の 入 學退學 其 他 

の i 力 は內地 公立 中學 校と 同 一 な.^、 第 一 部 は 修業年限 を六箇 年と し大體 第二 部と 異なる ことなき も 谷 寮に 

察 長、 寮監、 察 母 を 置き 生徒 をして 總て舉 寮 生活 を 爲し又 卒業後 實務に 就かん とする 者の 爲に倏 逢 年限 ニ箇 

年の, 高等科 を 置き 英語 以外の 外國 語法 制 經濟其 他 必要なる 學 科を授 くるの 特色 あり 其 他 大正 四 年 本島人 子弟 

敎 育の 爲公 立中學 校を臺 中に 設置し 五月 一 日 之が 開校式 を擧 行せ, 9 ^ 高等 女 i も 總督府 の 直轄に 屬し內 

地 人 女子 に 高等 普通 敛育 を授く る , J と 總て內 地 高等 女學 校と 同じ 

ョ 特 M 舉校 门阔 語學校 は 小 學师範 部、 公學 師範 部、 國 語部の 三部 を 置き 小學 師範 部 は 小 學校敎 諭た 

る 7 き 者 を 養成し 公學 師範 部 は 甲乙 二 科に 分ち 甲 科 は內地 人に して 公 學梭敎 諭た るべき 者 乙 科 は 本島人に し 

て公學 校訓 導た る? き 者 を 養成し 國 語部 は 本島人に 對し 主に 國語を 敎授し 中等 敎育を 施す の 組織に して 總督 

軒の 直轄な. = 醫學校 は臺灣 總督の 管理に 屬し 本島人 醫師の 養成 公醫 候補生の 敎習及 熱 帶醫學 の 研究 を 目 

的とす.?警察5^及司獄官練習所 は 又 臺灣總 督の 管理に 扇す 其の 目的 は 本島 警察官 及 司 獄官に 職務 上 必要の 

實 務を斷 練す ると 共に 警察 獄 制に 關 する 舉術 を修 習せ しむる に 在り 本島の 警察 及 監獄 は 一 種獨 得の 體系を 有 

じ 之に 適切の 機關を 養成す るの 必要 あるに 由る 

§ 私立 學校 內地 人の 設立せ し 私立 學校 は臺 北に 臺北中 學會、 成 淵 學校等 あ..^ 墓 隆に基 隆ー俨 、學會 あり 外 

圃 W の 設立に 係る もの は 孰 も 外國宣 敎師の 手に 成る 宗敎學 校に して 臺 化に 三校、 臺 南に 五 校 あり 專ら 本島人 

) 男女 を 收容し 宗敎敎 育 を 施す を 目的と す 書房 は 本島人の 設立せ る 私塾に して 其の 敎 育の 方法 は單に 漢文 虛詞 

を 記憶す る 訓詁 記誦の 學に 外なら す 全島の 學校數 敎員數 及 生徒 數は 左の 如し (各 年度 三月 末日 現在) 



(16) 



公高 中蕃公 小 

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中女學 公學學 

學學 學 

校 校 校 校 校 校 I 

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a 鬪書舘 明治 三十 三年 石 塚 參事官 長 拆內臺 日 編輯 長 等 生唱の 下に 臺灣 文庫の 創立 あり 各方 面の 寄附 を 

基礎と し 略々 圆書 館の 形式 を 備へ臺 北 淡水 館内に 開設せ るが 市 改正の 爲め 淡水 館の 取毁 ちと 共に 一 時 之 を 

閉鎖し 爾來 其經營 を 東洋 協 會臺灣 支部に 托する こと X な. T 居りし が 大正 四 年 三月 臺灣總 督府圖 書 館 親 則の 發 

布と 共 に 官立 國書館 を臺北 に 設立す る こと. - な h, 臺灣 文庫 の 圖書 は 一 切 之 を 圖書館 に 引續ぎ 元 博物館 跡に 於 

て八月九日ょ.^開館し公衆の閱覽に供せり 

笫七章 社寺 

本島 固有の 寺院 廟宇は 儒敎、 道敎、 佛敎の 混合よ. 成.. > 各種の 神佛を 同一 廟宇內 に 合祀し 雑然と して 混 屯 

の 域を脫 せす 而 して 本島人の 宗敎觀 念に 至りて は槪 して 倫理的 要素な く專ら 現世の 慶福 を 祈願す る 迷信に 過 

ぎす して 眞に 宗敎、 と認 むべき ものな きが 如し 

外來の 基督 敎中 西班牙 天主 敎派 及英國 長老 敎會派 は 遠く 領臺 前よ b 本島の 布 敎に著 手し }^ 主敎 派は臺 北大 

稻埕を 以て 傳 道の 中心とし 長老 敎會派 は全爲 を 南北 二部に 分ち て 布 敎線を 劃し 北部 は 淡水 を 以て 根據 とし 南 

部 は 臺南を 以て 根據 とす 兩者 共に 數名 の官: 敎師を 駐在せ しめ 谷地に 敎會堂 を 置き 熟 心 布 敎に從 事し 旁ら 敎育 



種 別 

國 語 學 校 

醫學校 

工業 講習 所 

警察官 及 司 獄官 練習所 

私立 學校 

書 房 



慈善事業に 意 を 注ぎ 其の 成績 見る ベ きもの あり 兩 派の 說敎所 又は 禮拜堂 は 全島 を 通じ 二百 箇所 を 敷へ 本島人 

の 信徒 數ニ萬 人 を 超 ゆ 

頜 臺後內 地より 新たに 神道^ 敎及 簾督敎 傳播し 神道 は黑 住、 金 光、 神堙、 御嶽、 天理等の各敛ぁh^佛敎は 

眞宗、 淨土、 眞言、 曹洞、 臨濟、 日 連 等の 各宗 あり 基督 敎は 日本 基督 敎、 組合 基督 敎、 日本 聖公會 の 三 派 あ 

. ^谷 宗派 共に 熱心 布 敎に從 事せ るも內 地宗敎 家の 布敎範 1 は 主として 內地人 側に 限られ 本島人に 對 する 感化 

力に 至りて は 未だ 特記す るに 足る ものな しと 雖 近時 稍 此方 面に 努力 せんとす るの 傾向 あ b 唯 總督府 より 蕃人 

撫靑の 一 方法と して 蕃族 敎 化の 任 を囑 託せられ たる 宗敎 家が 蕃界 谷地に 駐在して 蕃人 化導に 努力し つ X ある 

は 特に 注目に 値する もの あ h- 

臺灣 神社 官幣 大社 臺灣 神社 は臺 北の 北 約 一 虽 なる 芝 蘭 一 堡劍潭 山に 鎭 座し 大國魄 命、 大巳貴 命、 少彥名 

命 及 北 白 川 宮能久 親王 殿下 を 合祀せ り 宮中より は 大祭 毎に 幣帛 料 神饌 料 を 奉納せられ 奉幣使 參向 せらる 當 1: 

社に は 宮司 一 名 (秦任 待遇) 漏宜 一 名主 典 八 名 (以上 判 任 待遇) 出仕 及守衞 若干 名 (以上 雇) を 置き 祭儀 其 他の 社 

務を 掌理せ しむ 



今 本島の 舊慣に 依る 廟宇及 神 佛耶谷 宗派に 屬 する 社寺 敎會等 を 示せば 次表の 如し 

社 寺 (各 年末) 



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n 寺院 は 明治 三十 二 年 府令第 四十 七號 に依リ 建立した る もの 廟宇は 同年 七月 府令第 玉 十九 號に 依リ 建立し- i, いるものな リ而 して 明治 四十 二 年に 

C 劇增 せし は 齋堂及 神明 會 等.^ 描 上せし に 依ろ 



(18) 



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第 八 章 裁 钊 > 

一 司法 機關 二十 八 年 五月 軍政の 下に 臺灣總 督府假 條例を 設け 府內に 法院を 置き 谷地に 支部 を 設け 臺灣 . 

住民の 犯罪 及 民事訴訟 を 審判せ しむ 之 を 本島に 於け る 我 裁判 制度の 濫觴と 爲す 

二十 九 年 軍政 を 解き 民政 を 布く に 及び 始て法 院條例 を 制定し 通常 法院を 匱き 民^ 事の 裁判 を 掌ら しむ 法院 

は 地方 法院、 覆審 法院及 高等 法院の 三級 審 制度と し 三十 一 年 高等 法 院を廢 し 地方 * 覆審の 二級 審に 改め 谷 法. 

院に梭 察 局を附 置し、 審判 は 地方 法院 は單獨 判官 覆審 法院は 三人の 合議制と す 

二 法律制度 民事に 關 する 事項 は 內地人 及外國 人に 對 して は 民法 商法 及 其の 附屬 法に 依り 本島人 及 支那 

人に 對 して は 舊慣に 依る 刑法 及 民 刑 訴訟法 は 本島人 及 支那 人に も 一 般に之 を 適用し 土地に 關 する 權 利は內 地 

人 及外國 人に 就ても 舊慣に 依る 從來 臺灣に 於け 司法 機關は 槪ね內 地の 制度に 傲 ひ 其 S 適用せ る 法律 も 亦 多 

くは內 地の 法律に 依 據し來 りし も 人情 風俗 を 異にし 且 人文の 程度 低き 本島人に 對 して は 同 一 の 條親を 以て 律 

すべ からざる もの あり 更に 本島に 適切なる 特別 法規 制定の 必要 を認 るに 至り 三十 七 年先づ 犯罪 卽、 决例を 制定 

し 禁錮 三月 以下 罰金 百 W 以下の 輕微事 伴 は 警察官 署に 於て 之 を卽决 せしめ 次て 民事 爭訟 調停の 制 を 設け 地方 

行政官 をして 管內 の紛爭 事件 を 調停せ しめ 其の 調停 成立した る ものに 就て は 法院に 爭訟の 提起 を 許さ やる こ 



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に 定め 更に 罰金 及 笞刑處 分 合 を 制定し 本島人 及 支那 人の 犯罪に して 三月 以下の 懲役 又は 圆 以下の 罰金に 

處 すべ き 事件に 就て は 其 情狀に 依り 罰金 又は 笞 刑に 處 する こと を 得せし む是れ 本島に 於け る 司法に 關 する 三 

大 特別法 4- なり 

三 辯護士 及公證 制度 本,:! 1:? に 於け る 訴訟 代理に 關 して は 當初 訴訟 代人の 制 を 定め 法院 判官 檢察官 若く は 

辯謝士 たる 資格 ある 者 又は 總普 府の檢 定を經 たる 者 をして 訴訟 代人た る を, $ せしめ 後 辯 護 十, 規則 を 制定, い 辯 

護士は 辯護士 法に 於て 辯 護士 たる 資格 ある 者に 制^し 訴訟 代人 制と 併行せ しも 再び 從來の 訴訟 代人 を 一 定の 

期限 を附し 辯護士 名簿に 登錄を 許し 以て 今日に 至れり 四十 四 年末 現在 辯 護 士總數 は 七十 三人 (內 常往 せざる 

者 若く は 一 時 登 錄の者 十六 人) な.^ 公證 制度に 關 して は 別に 公 證人を 置かす 證 書の 作成に 闘して は 公 證人法 

に 依.^ 法院 判官 をして 之 を 取扱 はしむ 裁判に 關 する 諸 表 次の 如し 

法 院 及 職 員 lllllill 

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第 九 章 警 察 

明治 二十 八 年 七月 內 地に 於て 募集した る 警部 七十 名 巡査 七 百名臺 北に 到 著し 十月に 至り 谷地 要所に 配置せ 

し を 以て 本島 警察 機關の 創始と す爾來 幾多の 更革を 加へ て 現今の 制度 を 生じた, cs、 現今の 警察 制度 は 總督府 

に 警視 總長を 置き 警視 總長は 警察 本署の 長と 爲, 9 警察 本署に は 警務 課、 蕃務 課、 保安 課、 衞生 課の 四 課 を 置 

き 高等 警察に 関する 事項 は 警視 總 長に 專 屬す而 して 各地 方 廳には 警務 課 を 置き 廳長は 其の 職 權若は 特別の 委 

任に 依 b 管內 一般 又は 其の 一 部に 警察 命令 を發し 之に 拘留 又は 科料の 罰則 を附 する こと を 得との 警察 權を有 

し 警視 又は 警部 を 以て 警務 諜 長と 爲し廳 長 を 補佐して 警察 事務 を 掌理せ しめ 警視 總長 中央より 全島の 警察 機 

關を 統率 監營 する の 組織に して 警務 は 吏務と 相 妓んで 民政の 一半 を 占め 納税、 衛生、 農政 等 各般の 行政 槪ね 

警察の 力 を 要せ、 ざる ものな く內 地の 制度と 頗る 其の 趣 を 異にす 且 其の 警察 科目 も 母國の 如くに 簡單 ならす 普 

通 警察の 外 阿片 行政、 保 甲 監督、 口 事務、 犯罪 卽決、 笞刑處 分、 浮浪者 收容若 は 支那 人 勞働者 取締 等 特殊 

の 事務 あ. - 左に 其の 特殊 事務の 槪要を 記さ ん , 

一 戸口 事務 三十 八 年 十月 臨時 tr; 口 調査の 實 施に 依.^ て臺灣 住民の 静態 を 明かに する こと を 得た る も 未 

だ 民籍の 基本 を確實 にす る こと 能 は ざ,. > し を 以て 间年 十二月 戶ロ親 則を發 布し 一 面 6, 口 調査 親 程 を 改正し 警 



刑事 第二 審 受理 及處理 件数 



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察の In- 口調 查簿を 以て 口の 異動 を 明に する の 制 を 設け ti; 口に 關 する 事務 は總て 警察の 手に 依りて 處理 する 

に 至れり 

TT 浮浪者 收容 土民の 無職 無賴の 徒にして 改悛の 見込な き 者に 對 して は 治安 保持の 必要 上 之 を 一 定の場 

所に 收容 し勞 働を强 制する 爲三 十九 年 浮浪者 取 則 を 設け 四十 一 年臺東 廳加路 蘭に 收容所 を 設け 强制 就業 

を實 行せ しに 其の 實績大 に 見る べき もの ある を 以て 四十 四 年に 於て 臺柬 廳火燒 島に 更に 收容所 を增設 した,..' 

比の 浮浪者 收 制度 は 內地人 及外圃 人に 適用す る 保安 親 則と 相费し 土民の 無 賴漢を 取締る に 適切の 制度な b 



三 保 甲 制度 保 甲 制度 は 本島 領有の 際淸國 時代の 古制 を參 酌して 現行 保 甲 條例を 制定せ. -卽ち 十 を以 

て 一 甲と^ を 以て 一保と 爲すを 例と し 街 庄の區 域に 從て 編成せ り 保に は 保 正 甲に は 甲 長 あ,. > 保 正 は 保 

に 於て 甲 長 は 甲に 於て 選擧し 共に 廳 長の 認可 を受 くる ものと し 保 甲內の 人民 は 其の 區域內 の 安寧 を 保持す る 

に 連座の 責任 を 負 ひ 警察の 下級 補助 機關 として 行政 警察 事務 を S 助せ しむる の 制度な..^ 又 保 甲に は 匪徒 渡 風 

水 火災の 警戒 防 鶴の 爲壯丁 團の設 あ b 保 甲と 相 呼應し 以て 地方の 治安 を 保つ の 責任 あり-四 十三 年末 現在 保 甲 

壯了團 及 其の 役員 數を擧 ぐれば 次の 如し , 





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保 數ょリ 保 正の 數少 きと 圑數 ょリ圑 長の 數少 きと は 孰 も缺員 あ るに 由る 

四 犯罪 卽決 犯-非 卽決令 は 三十 七 年 三月 律 <^ 第 四號を 以て 發 布し 同年 四月 一日よ, り實 施せり 其の 耍は輕 

微なる事件に關し繁愤なる刑事:1^|訟の手績を省き以て治罪の敏速を期するに在,-然れども若し被告人に於て 

不服 ある 時 は 何等の 手續を 要せす 唯 其の 串 立に^ b 正式 裁判 を 仰ぐ 事 を 得せし む 



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五 罰金 及 笞刑處 分 例 本^ は 三十 七 年 一月 律令 を 以て 發 布した る ものにして 文化の 程度 低き 本島人 及 支 

那 人の 犯罪者に 對 して は 短期間の 自由刑 を 科する も 毫も 行 刑の 目的なる 苦痛 を感 せすじて 却て 安居の 性 あら 

しむ 乃ち 犯罪の 情 狀に依 i 短期 自由刑に 換 ふるに 罰金 刑 又は 笞刑を 以てする は 本島 現 時の 狀 態に i;!: 適切なる 

制度な ..^ 警察 に 關す る 諸表 次 の 如し 

警察官 署及 警察官 吏 (各 年末) 



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笞刑處 分 人員 (各 年末) 



第 十 章蕃務 

一 蕃族 及 分布 地域 本島の 蕃族 は 其の 進化の 程度に 依り 熟蕃, 化蕃、 生蕃の 區別 あ, 9 熟 蕃とは 本島の 支 

那 民族と 殆ど 间ー の 程度に 進化せ る もの を 謂 ひ、 化 蕃とは 漸く 化 熟し 將に 風化に 向 はんとす る もの を 謂 ふ、 

而 して 其の 進化 最 劣等に して 容易に 風化に 向 はざる もの を 生蕃と 稱す、 生蕃 は 其の 言語 習慣 系統 等よ.^ タイ 

ャべ サイ セット、 ブ ヌン、 ッ ォォ、 パイ ソン、 アミ、 ャミ の 七 種族に 別つ 其の 分布の 地域 約 一 、 二 五 〇 方 

里 大小 社 數六七 二、 人口 約 一 二 九、 〇〇〇 を數 へ 每社 各々 其の 領域 を 有し 宛然 幾 十 百の 小 獨立國 併 立せ るが 如 

き觀 あり 蕃地 面積 及 蕃地 非 蕃地 を 表示 すれば 左の 如し 

蕃地 面積 



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二 蕃 務機關 領臺の めに 於て は蕃務 は殖產 局の 主管た, - しが 蕃地 行政 其の 步を 進む るに 隨ひ 施政 機關 

の 組織 を 改め 四十 二 年 十月 總督府 官制 大 改革に 際し 蕃務 本署 を 新設し 蕃務總 長 之が 長と 爲 b 署内 庶務課、 理 

蕃課、 調査 課の 三 課 を 置き 蕃地 を 管轄す る 地方 廳廳長 及 警察官 を 指揮 監昝 して 蕃地 行政 を統 一 する こと X な 

れ.^ 斯くて 四十 二 年度より 理蕃費 一 五、 四 〇〇、〇〇〇 圓ょり 年々 コ r〇o〇、〇〇〇M 內外を 支出して 著々 蕃 

地 行政 を擴 進し 大正 二 年度に 於て 理蕃 事業の 終了と 同時に 蕃務 本署 を廢 止し 警察 本署 中の 一 蕃務 課と して 引 

續 き狸蕃 行政に 從事 せしめつ i あ, 9 

三 蕃害 化 外の 蒙 民た る 蕃族 中 資性 最も 獰惡 なる は 北部 蕃族 卽ち タイヤ^ 族に して 馘首 を 以て 無上の 名 

譽と爲 せり 乃ち 祭祀の 犠牲 人 首な かるべ からす 人 首 を馘ら ざれば 壯 丁の 伍 伴に 入る こと を 得す 論爭の 裁斷人 

首 を 獲る もの 勝つ 等の 蠻風 ありて 首級 は 殆ど 彼等が 生活 上の 必要品と な.^ 蕃害, の 最も 甚 しきに 當. 9 て は 現に 

】廳 下の みに て 一 年間 百 三人の 馘首に 會 ひたる こと ありし が理蕃 の效果 漸く 顯 はれ 漸次 減少し つ.^ める は 喜 

ぶべ し 過去 十 年間の 蕃害 左の 如し 

害 (各 年末) 



內地人 一 本島人 

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^ 理蕃 理蕃 政策に 威愿と 撫育の ニ途 めり 威と 云 ひ 撫と云 ふ も 其の 歸 一す る 所 は 同 一 の 目的に 在...^ て膺 

懲 する にも 撫育 を 加味し 撫育 も 亦 威力 を全廢 せす 唯 必要 上 重き を 一 方 Li 置く に 過ぎざる な,.^ 卽ち 比較的 温順 

にして 武力 を 要せざる 蕃社 若は歸 順せ る 蕃社に 對 して は蕃務 官吏 駐在所、 敎化 事務- 囑託 及蕃童 公學校 職員 

等の 撫育 機關備 はり 農業、 機業、 手工 等の 適切なる 產 業を授 くるに 力む ると 共に 一面に 於て は 感化 敎 導に 力 

を 用 ひ 一 般の 成績 頗る 良好なる もの あ.^ 大正 三年 末に 於て は 敎育所 六十 一 箇所 收容兒 童 約 一 一千 を數 ふるに 至 

れり之 を 表示 すれば 左の 如し 

蕃量敎 育 . 



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) 備考 蕃 害と は 蕃人 以外の 者が 蕃人よ リ 害せられ たろ 

恭地 警備員の 死傷 



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蕃族 を威滅 する の 方法 は 陰 勇 線 前進 及 蕃社 討伐な,.^ 隘奚と は淸國 時代の 稱 を 襲用せ る關隘 守備の 兵舆に 

して は卽ち 此の 兵 剪 を 配置せ る 防蕃線 I な b 隘勇 線の 設備 は蕃界 適宜の. S 嶺を 開きて 隘路と 稱 する 

道路 を 設け 溢路の 外面 (蕃族 棲息の 方面) 數十 間の 草木 を 刈 除して 射 界>- し 蕃人 接近の 監視に 便なら しめ 隘路 

上 要衝の 地に 隘 蔡と稱 する 哨舍を 設け 隘勇を 配置す 隘蔡は 其の 距離 三 四 町 毎に 之を設 くと 雖地 勢と 蕃 情の 如 

何,.. 一に 依り 均 一 ならす 大抵 一 里に 付十箇 乃至 十八 箇 にして 半 均 十二 三箇を 普通と す 之に 隘勇ー 一人 乃至 四 人 を 

配置し 贐藥四 五箇 所の 內 一 筒 所 を 監督 分遣 所と f. 、巡査 又は 巡査 補 を 配置し 其の 四 五箇 を 連ねて 警部 又は 警部 

補 を 駐屯せ しむ 之 を 監督 所と 稱す隘 房 線路に は 必要なる 地 點に鐡 條網を 架設し 又は 野砲 山 砲 及 曰 砲 を備ふ 尹ば 

勇 線 前進と は 蕃族 藤 迫の 必要 上 現在 線よ.^ 進んで 新たに 形勝の 地 を 占め 新 線路 を設 くるの 謂に して 此の 新 線 

に 依, 9 包容せられ たる 地域 は 安全と な b. 更に 其の 前面の 蕃社 を 制 する に 足る 蕃社の 討伐と は * め. より 膺懲 

の目的を以て警察官ょ,.^編成せる前進隊を動かし大威カを加ふるを謂ふ參考として隘勇線延長表を褐げん 

S 勇 線 延長 (單 位, 里) 



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第 十一 章 監 獄 

本島 領有の 當ー 初に 在て は 未だ 司 獄に關 する 特別の 制度な く 罪囚は 凡て 地方 廳 監獄 署に 拘禁し 警部 をして 其 

の 事務 を 掌ら しむ 後 二十 九 年 民政.^ 布 かる X に 及び * て 看守 長 及 監獄 書記の 職 を 置き 次に 明治 三十 年 典獄の 

職 を 設け 谷縣 監獄 署に 長たら しむ 斯 くの 如く 監獄 事務 は 領臺當 時より 地方 廳に屬 したりし が 明治 三十 年內地 

監獄 署の 司法 省の 主管に 移る と共に 本島に 在りても 亦 總督府 の 直轄と 爲し 同時に 臺 北、. 臺中、 臺 南に 監獄 本 

監を 設け 其 他 須要の 地に 支監を 置き 監獄 官制 を 施行し 新に 典獄、 監獄 監吏、 監獄 醫及敎 誨師の 職制 を 定め 以 

て 司獄の 完全 を 期せ..^ 

改 隸以來 三十 六 年に 至る 迄 は 年と 共に 在監者 漸次 增 加し 一 日卒均 四千 人 を 超 ゆる こと ありし も 三十 七年以 

降 漸次 滅 少して 四十 年 以來は 一 H^lll 千 二百 人內 外な, :9 とす 新く 著. 9 しく 1— 少 せる. 原 犯 HM^, 命 tels 



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第士 一章 農 產 附 移民 

^ 本島の 氣候 土質 は 極めて 農業に 適すと 雖舊 政府 時代に 於て は 農業 政策 其の 宜しき を 得す 開墾に 灌溉に 耕作 

C に 一 も 観るべき の進步 なくして 農業 久しく 振 は ざり し 然るに 臺灣總 督府は » 殖民 地 政策と して 最も 產 業に 重 



金 及 笞刑處 分 令の 二 大法 <^ 制定 施行せられ たるに 在, 9 監獄に 關 する 諸 表 次の 如し 

監獄 及 職員 表 (各 年末) 



年 



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典獄 



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本 表の 事 實は各 年末に 田畑と して 現存の ものな リ 



) きを 置き 二十 九 年 森林 原野 特別 處分 令、 同 豫約賣 渡 規則、 同 貸 渡 規則 を發 布し 越えて 三十 四 年 公共 缚圳 規則 

S を 定め 其の 翌年 更に 糖 業 規則 を 制定して 開墾 水利 及 糖 業に 獎 B を 試み 且 農事 試 驗場、 糖 業試驗 場、 茶樹 栽培 

試驗 場、 園 藝試驗 場 等 を 設置して 農業に 關 する 各種の 試 驗を行 ひ 講習 生 を 募集して 農業 敎 育の 普及 を圖 b 四 

十 一 年に 至り 農會 規則 を發 布し 農業 改良 上の 助長 機關 たる 谷 廳農會 の 組織 を確實 にし 此他 同年 害蟲驅 除豫防 

規則を制定して生產の增加を圖^^尙ほ交通の便を開き貨物の出入を容易にし或は生產品檢査規則を設け品質 

の. 改善 を圖 b 或は 共 進會、 品評 會等を 開きて 農 逢 改良 を獎勵 したる 等 農政 上 諸般の 施設 著々 其 緒に 就きた る 

を 以て 領臺 以前より 久し C 振に ざり し 農業 は此に 始めて 振興し 年々 谷 種農產 物の 增加を 見る に 至れり 

本島 農業 は 舊來の 耕地に 加 ふるに 新墾の 土地 を 以てし 且 農業 改良 獎 凝の 結果 從來 使用せ る 土地の 利用 集約 

の 度 を 加へ て 著る しく 其の 生産力 を 膨脹し 農產物 總價約 ii« 萬 圓を算 する に 至.. - たり 大正 三年 末 現在の 田 は 

三 五 〇、 ニー 五 甲 畑 は 三 六 四、 五 四 五 甲 計 約 七十 】 萬 甲に して 全面 積の 一 割 八分餘 行政 區域 面積の 五 割 三分 餘 

に 達し 之が 耕作に 從 事す る者專 業者 一 、五三 六、 三 01 X 兼業 者 六 六 三、 一 六 六合 計 1 一 百 萬 人 以上に して 全人 

口の 約 六 割 を 占む 其 田畑 面積 を 示せば 左の 如し 

田畑 面積 (甲) (各 年士 一月 ョ十 一日) 



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主要 農産物 本島の 農產は 米、 麥類、 豆類、 甘蔗、 甘 諸、 茶、 落花生、 胡麻、 木 藍、 山 藍、 苧麻、 黄麻、 

m 草、 煙草、 鳳 梨、 纖維及 报橘類 等 谷 種の 產物 あり 就中 稻作、 薦作及 茶 業 は 其の 顯 著なる ものな, - 左に 是等 

主要 晨產物 を槪說 せん 

一 米 米の 主 產地は 臺北梵 蘭 及 桃園の 三廳 にして 阿 維及臺 南の ニ廳 之に 次ぐ 現今 本島の 米 產額約 四百 六 

十 萬 石と 稱す而 かも 近年 新地の 開拓 水利の 開 發に伴 ひて 益々 增 加し ft 外に 搬出 せらる X もの 亦 年額 百 餘离石 

に 上 b 本 a 農產の 首位 を 占む 左れ ど 其の 收穫量 及:: i 質 は母圃 米に 比し 著る しく 遞色 ある を 以て 當局は 施肥の 

獎勵 普及 を 試み 以て 其の 多 收を圆 り 極 類の 統 一 を 企て 以て 之れ が 品質の 改善 を圖 b っ&ぁ b 内地との 米穀 取 

引 は 三十 年に 始まれる も當時 本島 米 は 品質 粗に して 粘 力に 乏しく 加 ふるに 乾燥 調製の 不完全なる 爲 めに 聲 

揚がら ざ. C. しが 三十 七 年內地 移出 米檢查 規則 を發 布し 臺北外 二十 一 箇所に 梭 米所 を 設けて 檢查を 開始し 調製 

法 を督勵 して 品位の 上進 を 計りた る 結 近來 頗る 其の 聲價を 高め 今や 島內清 費の 餘剩を 以て 之を內 地に 移出 

する の 盛況 を呈 する に 至れ. -稻の 作付 總 面積 は 水 隆稻計 五十 一 萬餘 甲に して 槪ね粳 を產し S は 僅かに 其 五 萬 

甲 內外を 占む るに 過ぎす 更に 水稻は 隆稻に 比し 極めて 少く 之亦總 面積の 四 萬 甲 內外を 占む るに 過ぎす 一 方 作 

付 甲 數の增 加と 共に 一 甲 收稷も 亦 漸次 增加を 示しつ \ あり 本島 米作の 將來亦 甚だ 多 な, -と云 ふ べし 

二 甘蔗 本島に 於け る 甘蔗 栽培 は 十六 世紀の 一 初め 和 蘭の 本島 を 占領す る ゃ大に 之が 獎勵に 努めた るに 濫 

觴し 更に 鄭氏 時代に 至. = ^特に 意 を 注ぎ 蔗種を 輸入し 之 を 栽培す ると 同時に 盛に 製造の 勸獎を 圖,. ^たるが 我が 

頜有當 時に 於け る 本島 糖 業は數 百年の 舊套を 墨守し 竹蔗、 蚋蔗、 紅 藤、 南 貢 薦等在 來の薦 種 を栽植 する のみ 

にて 其の 耕作 も 亦 粗放 を 極めた わ" され ど當 時の 糖 廓數實 に. ) 千 を 超え 產糖商 亦 八 九十 萬 擔を算 したる を 以て 

本島の 氣候 風土が 極めて 甘蔗 栽培に 好適なる か を 知る に 足る 可し 明治 三十 四 年頃 臺灣當 局 者 は先づ 主として 

布眭 より 改良種た る" ー ズパ ンブ !• を 轍 入し 之が 改良 を圖り 次で 工場 設備の 完備に 努め 遂に 今日の 盛 况をロ 王 

n する に 至れ,..^ 卽ち 明治 三十 五 年に 外圃 改良 植付 面稽は 僅に 三十 七 甲、 翌 三十 三年に は 二百 四十 甲に 過ぎ ざり 

( しと 雖も 四十 一 年に は 全 作付の 七 割 一 分餘に 達し 四十 三年に は 九 割 三分 餘を 占め 四十 四 年期に は實に 四十 七 



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) 億 一 千 五 百餘莴 斤の 收穫を 得る に 至れり 然るに 此の間 明治 四十 四 年 及び 大正 元年の 兩 年に 於て 稀 有の 風水害 

ひ あ. - 甘蔗 農業 上 絶大の 惡 影響 を來 たし 著しく 收量を 減す るに 至れる よ, -各 製糖 會 社に 於ても 原料 供給の 安固 

を圖 らんが 爲め種 々畫 策す る 所 あ. 總督府 亦 大規模の 高地 苗圃た る蔬苗 養成 所を臺 中廳大 湳庄、 后 里 庄のニ 

箇所に. 設置し 以て 品種の 改良、 藤 苗の 供給 等 甘蔗 栽培の 基礎的 施設に 就き 努力す る所少 からざる 結果 大正 四 

年度よ. 布哇 及び 瓜哇の 新種 蔑 苗の 配給 を實 行す るに 至れ. 從て 今後 順調に 兩 三年 を 經 過せば ズ バ ンブ 

,の 如き は 殆んど 本島に 其の 影 を 止めざる に 至る 可く 一 方に 於て は 臺南廳 大目 降に 於け る 糖 業試驗 場に 於て 

本島に 好適の 實生種 を 出 だす 可く 品種 育成 事業 を 遂行し 今 ョ に 於て は 幾多の 堪風、 堪乾、 堪水 及び 收量歧 に 

糖分の 能 度 高き 谷 要件 を 具備せ る 有望 種 を 養成 發 見す るに 至.^ し を 以て 高地 苗圃と 相俟て 今や 甘 藤 農業 は 全 

く 面目 を 一 新 せんとす る 機運に 遭遇せ しものと 謂 ふ を 得 可し 

三 製茶 茶の 產地 は臺 北、 宜蘭、 桃園、 新 竹の 北部 各廳 にして 就中 桃園 廳 最多く 臺北廳 大稻煌 は 其の 唯 

〕 の 市場たり 產地 一 帶の 境域 は 丘陵 高原 蜒蜿 起伏し 其の 土 性 及 氣候は 最も 茶澍の 栽培に 適し 到る 處の 傾斜 地 

及 灌漑 困難なる 高原 地 は 悉く 茶閬 ならざる なく 大正 三年の 栽培 面積 三 七、 八 五 二 甲に 上れり 大正 三年 末に 於 

ける 各種 農產物 作付 反別 及收穫 は、 左の 如し 

. 農產物 作付 反別 及收穫 f 



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內譯は 將來の 利用 見込 地 類別.^ 描ぐ 



移民 本. 1^ の官營 移民 事業 は 東部 臺灣に 四十 1 一年 度 て 移民 事務 を 開始し 四十 三年 度に 六 一 二 一 九 人 四 

十四 年度, 一 七 八 In, 九 〇 一 人の 移民 を 行 ひ 總 tl^ 數 二三 九 In, 人員 r ニニ 〇 人に 達し 大正 三年 度に 至, 9 て は 更に 

增 加して 總 數 五八 七 男 一 、五 〇 三人 女 一 、三 一九 計 二、 八 ニー 一人に 達したり 其の 耕作 面積 は 一 に付き 三 

甲 步の割 宛てに して 移民に 對 して は貸與 金給與 金の 外物 品 給 與を爲 し 貸 與金は 移民が 小屋 を 作る 場合 其の 半 

額 を赞與 し: g 與金は 小屋の 半額 金 を 給 與し何 ほ * 具 購 入费を も與へ 居れり 移民 地に は學 校、 警察官 吏 派出所、 

醫 療听、 祌 社布敎 所、 火恭 場、 慕 地 等 諸般の 設^ 整 ひ 居れ b 東部 臺灣の 移民 適地 は 左の 如し 



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因に 現在の 屠殺場 は 總數八 九 八に して 大正 三年 度に 於け る 谱畜價 額 合計 は 一二、 四 一六、 五六 三圆に 上れ. 

第 十四 章 水 產 

本島 は 温熱 兩帶に 跨る を 以て 水 族の 種類 頗る 多く 本島の 北部 及 南西 部 拉彭湖 列島に 於て は 鯛- 鱔、 鰹 等の 

漁獲 多き も由來 本島の 漁船 は 小形の 木造 船 若 は 竹 筏なる を 以て 沖合 漁業 を爲す こと 能 はす 他の 產 業に 比して 

甚だ 幼稚な, し而 して 當局者 は水產 上の 施設に 關 し從來 種々 計畫 する 所 ありし が 四十 三年 度よ トノ 間接的 啓發 

の 主旨に 依り 樞 要の 漁場に 內地 漁業 者 を 移住せ しめ 本島 漁夫と 接觸 して 漁業に 從事 せしめ 以て 斯業 開 發の方 

針 を 取,^ しに 稍々 好果を 得た るが 如し 又 水產試 驗に關 して は總 督^に 於て 統 一 的に 直接 經營 する の 方針 を 採 

るに 決し 先づ 堅牢 快速なる 補助 機關附 漁船 を 新造し 漁場の 探檢 調査 及 漁撈 試 驗を行 ふと 共に 養 観 養魚 養殖 等 

に關 する 硏究 調査 を爲 すの 目的 を 以て 四十 年度よ, り 著 手し 斯業の 開發に 努めし 結果 近来 漸く 發展の 機運に 

向 ひたる も 尙將來 改良の 餘地大 なる もの あり 大正 二 年に 於け る水產 業者の 數は專 業 四 】 、五 七三 人 兼業 九 七、 



£ 第 十三 章 畜 產 

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從來本,£sの牧畜業は頗る幼稚にして副業的養厥業の外は見るべきもの少かh^しが當局者は夙とに家畜の改 

良に 意 を 用 ひ 洋 牛,, 洋豚及 印度 牛 を 輸入し 農事 試 驗場及 種畜 場 をして 之が 蕃殖 を爲 さしめ 又 農會其 他の 閣體 

に貸與 して 改良 蕃殖に 意 を 致さし め 更に 產牛 改良 獎勵費 を 支出し 或は 種 膝 改良 費 を 補助し 以て 樋 牛 樺 豚の 改 

良に 努めた る 結果 鞔近 稍, - 好 果を收 むる に 至れ. 9 大正 三年 度の 家畜 及 屠 畜頭數 は 左の 如し 



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二 四 〇 人 計 一 一 二八、 八 一 三人に して 漁船 は 木造 船 三、 九 五一 一竹 筏 五、 五 二八 漁網 一 五、 四 1 一六な b 尙 大正 三年 度 

漁獲物 及 製造 物の 數景價 額 を 示せば 左の 如し 

水產 漁獲物 



水產 製造 物 



以上 表記せ し 外水產 として 數ふ 可 き i 苗 は 全島 を 通じ 大正 三年 度 未に 於て 一 、五 五三 甲數量 一 八 三 、八 1 

九、 七 一 一八 斤 價額三 八 五、 六 四 五圓に 達す 尙 養魚場 は 七、 八 三 七 個所 面積 1 ニー ニニ 一 四 甲に 及べ り 



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金の 產地は 臺北廳 下に 在,..^ 則ち 金 瓜 石 金山、 牡丹 坑 金山、 瑞芳 金山 等に して 牡丹 坑及 瑞芳 金山の 產額は 近 

年 稍,^ 減 返せる も 金 瓜 石 金山 は 著る しく 其の 產額 を增し 優に 牡丹 坑瑞 芳兩 金山 產 額の 滅返を 償 ひ 却て 本島の 

總金產 額を增 加せ り 砂金 地 は 臺北廳 下基隆 川筋 及 九伢、 大竿 林、 大 粗坑、 小粗坑 等の 諸溪宜 蘭廳下 武蓬坑 

溪臺東 廳下花 蓮 港、 新 城、 成廣澳 附近 其 他 二三の 溪流 等なる も實 際に 砂金 採取 業の 行 はる X は 臺北廳 下の 前 

記諸溪 流な, - とす 砂金の 全盛時代 は旣に 去, 9 て © 十 年に 至. -衰 返の 極に 達した る も 爾後 逐年 產額增 進の 傾向 

あ 銀 は 金 及 金 銅 i 製煉の 改善と 擴 張に 伴 ひ 近年 稍,^ 增產せ 銅 產地は 臺北廳 管 內金瓜 石の みに して 近く 三 

十九 年始め て發 見し 四十 年 銅 糠 製 練 を 開始せ しょ,. > 僅かに 四 五 年間に 過ぎざる に 長足の進歩 を來 たし 一 躍內 

地に 於け る銅績 業の 第 八 九 位 をお むる に 至れり 石炭 も 亦 近年 著る しく 其 産額 を 激增し 大正 三年 中の 產額は 之 

を 明治 三十 二 年度に 比すれば 十倍に 上れり 產炭地 は 大安 溪 以北に 限られ 採炭の 最も 盛なる は 臺北廳 下にして 

佻 園、 深坑 之に 次ぐ 硫黄 は 三十 九 年に 於て 衰退の 極に 達し 爾來 逐年 產額 を增 進し つ X ありと 雖も 未だ 著る し 

き 發展を 見る に 至らす 其の 產地 は大屯 山彙に 限らる 石油 業 は 全盛期に 達せ やと 雖 其の 產額 一 萬 五千石に 及 

び 油帶の 分布 極めて 廣大 にして 殆ど 全島に 居れば 鑛業中 最も 多望の 將來を 有する ものと 謂 ふべ し 最近 五 



^ 第 十五 章 鑛 產 

本島の 礦產物 は 金、 砂金、 銀、 金 銅、 銅、 石炭、 硫黄、 石油 及憐礦 等に して 膨 湖島の 石炭 を 除く の 外は悉 

く 北部 臺灣 に產 出し 逐年 發 達の 趨勢 あ, 大正 三年 末 現在の 礦區數 は 四 七 〇、 其の 坪數八 二、 五六 二、 九 八 五 を 

算し 一 阪產業 中 重要の 位置 を 占め 本島の 一 富 源を爲 せ.. - 現在の 鑛 種別 鑛區及 其 坪數を 示せば 左の 如し 



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第 十六 章 ェ 業 

本島 は由來 工業の 原料に 富める にも 拘らす 在來の 工業 は 其の 規模 槪ね 狹少 其の 方法 極めて 幼稚に して 殆ど 

見る に 足る もの あら ざ,^ しが 頜臺 以來當 局の 施設 經營 其の 宜しき を 得 諸般の 事業 著々 進步發 達する と共に ェ 

業 も 亦 漸く 其の 緖に 就き 爾來諸 所に 各種 大規模の 工場 設置 せらる X あ, 5 て汽 力、 電力、 水力 若 は 石油 發 動機 

を 利用して 盛に 事業の 經 營を爲 すに 至れり 殊に 製糖業 は 近年 頓 かに 其に 氣勢を 高め 各種の 纖維 工業 も 亦 漸く 

事業家の 著 目す る 所と 爲り將 さに 其の 面目 を 一 新 せんとす 左に 本島の 二 大工 業た る 製糖 及 製茶に 就きて 其の 

槪耍 を敍述 すべし 

^ 製糖 鄭氏 時代に 於け る 本島の 產糖額 は 僅に 三十 萬擔を 出で やして 淸朝 隸屬の 後徐々 として 發 達を續 

け 十八 做紀 末に 於て は 其の 販路 啻に 曰 本 及び 中 北 清に 止まらす 歐米 濠洲 方面に 及び 輸出 額 百 四十 五 萬 擔に上 

たるが 其の後 甜菜糖 業の 勃 與に隨 ひ 一 般の 甘蔗 糖 業は甚 しき 打擊を 受け 臺灣亦 其の 餘波を 受けて 輸出 額漸 

く 八 九十 萬擔に 下り 爾來 其の 狀態 を持續 して 我が 領有の 時に 至れ, 明治 二十 八 年 領有 當 時に 於け る 本 a 糖 業 

巧 は 貧弱なる 合 蜜 赤 糖と して 牛馬 石 車 を 以てする 小規模の 舊式 製糖 場に 限られた る觀 あ,^ しが 降て 三十 四 年 糖 

C 廓 改良 を圖る ゃ先づ 動物 石 車に 代 ふるに 石油 發 動機 及び 鐡製轉 子 壓搾機 を 以てし 之 を 改良 糖 》 と稱し 次に 完 



年間の 主なる 孅產物 採取 額 は 左の 如し 



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) 全なる 新式 製糖 工場の 設置 を獎勵 せり 改良 糖 廓 は 三十 八 年頃 四 箇所 能力 三百 七十 六噸に 過ぎ ざり しも 六 年後 

S の 四十 四 年に 於て は 一躍 五 千 九 百 二十 噸を算 する に 至りた る も 新式 製糖 場の 事業 進涉 と共に 取拂 又は 廢 業す 

る もの 亦少 からす 新式 製糖 場 は 明治 三十 五 年 設立せられ たる 臺灣 製糖 株式 會 社の 橋 仔 頭 工場 (能力 三百 五十 

顺) を 以て 嚆 矢と す爾來 此の 種の 製糖 場 比 年續設 せられ 現存 工場 三十 八 箇所 能力 一 一 萬 七 千 五 百 七十 噸 其の 會 

社數 十三、 公稱 資本金 一 億 百 八十 五 萬圓に 達し 卽ち舊 式 糖 廓 及び 改良 糖 廓の 減衰 は 一 面 新式 製糖 場の 發展に 

伴 ふ 結果に して 纏て 本島 製糖 工業の 進步 向上 を反證 する ものと す而 して 其の 產糖額 は 三十 七 年期に 於て 七十 

五 萬 八千擔 な. しもの が 五 年後の 四十 一 年期に 於て 二百 三 萬 八 千擔に 躍進し 更らに 四 年後の 四十 四 年期に 於 

て は 四百 五十 萬擔を 計上せ しが 大正 元年 期 は 稀 有の 暴風雨の 被害を受け 二百 萬擔 迄に 減產 せし 事 あるが 今期 

卽ち 大正 四 年期に 於て は實に 四百 八十 萬擔內 外の 新 記錄を 作る 可く 豫 想せられ つ あり 右 は 全く 暴敏 » の 被 

害 恢復せ しと 一 方に 於て 集約的 農法の 發 達に 歸 著す 可き ものと 見做す 可く 殊に 前期 以來歐 洲戰亂 の, 影響 を受 

け 糖價は 世界的の 昂騰 を 告げ 今後 猶ほ 此の 好況 を 持續す 可き 見込み 充分なる を以 つて 各 製糖 會社は 四十 四 五 

年當 時の 盛況 を 再現した る 勢 ひに て 何れも 基礎の 堅固 を圖る 可く 積極的 經營に 腐心し つ \ あるの 現象 を呈し 

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製糖 會社 0K 正 三年 末 現在) 



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備考 資本金 十萬圓 以上の 社會 のみ.^^ 載ぜリ 

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二 製茶 本島の 製茶 は 烏 ft 茶、 包 種 茶、 紅茶、 番茶、 粉茶、 莖茶、 綠 茶の 谷 種 あり 就中 烏 « 茶 及 包 種 茶 

は 海外 貿易品の 太宗 た, 其の 製法た る や 未だ 工場 組織、 機械 製法に 依る もの 少く槪 して 舊來 の手樣 法に 依る 

ものにして 一 旦產地 各 農家に 於て 粗製せられ たる 茶 は 本 品 唯 一 の 市場た る臺 北大 稻埕に 於て 更に 第二の 工程 

を經て 精製せられ ざる ベから や 現 時茶樹 栽培 面積 三 萬 七 千 A 百 甲 粗製 茶 家 約 I 一 萬 一 一 千 11; 再製 茶 家 約 115 1 十 u; 

を 算す是 等の 工場に 於て 精製され たる 烏 « 茶 は 重に 米國に 需用せられ 包 種 茶 は 瓜哇及 其の 附近の 島嶼 之が 顧 

客た b 烏. 寵茶は 其の 風 * 香氣 $ 優良なる 紅茶、 綠 茶の 企及すべからざる の 特質 を 有する に 依. て米國 市場に 

於て は 夙に 支那 產を 驅逐し 業に 已に 其の 眞味 十分に 紹介せられ たる も 未だ 普く 歐洲 諸國の 嗜好 を 喚起す るに 

至らざる を 以て 當局は 島內茶 業の 進步を 計る と共に 其の 販路 擴張 を企圖 しつ X あ b 製茶 製造 高 及び 輸出 高 は 

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同 四十 二 年 

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種 工場 本島 内に 於け る 資本金 十萬圓 以上の 主なる 工場 を * れば 左の 如し 

重なる 工場 (資本金 十萬圆 以上) (大正 三年 末堍 在) 



中部 臺灣產 業 株式 會社 

臺灣 製麻 株式 會社 



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麻布、 麻袋、 

麻糸 



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高 砂 酒 造 株式 會瓧 

臺灣 海陸 産業 株式 會社 



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新 高 製 水 株式 會社臺 中分 

工場 

臺中 製粉 婧米 株式. 賓社 



嘉 義電燈 株式 會社 

嘉義製 酒 株式 會社 

臺僕製 酒 株式 會社 

嘉義 興業 株式 會社 

帝 國製水 株式 會社 

臺灣製 酒 株式 會社 

店 仔 ロ農產 株式 會社 

日本 石油 株式 會社 臺灣出 

張 所 



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水 

製粉、 靖米 



電 力 

酒 及 澱粉 

石 灰 

支那 酒 

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臺南 新報 社 (株式) 

臺灣 肥料 株式 會社 

赤 山 練 製造 株式 會社 

南部 製 酒 株式 會社 

臺灣永 糖 株式 會社 

臺灣鳳 梨罐詰 株式 會社 



印刷、 製本 

肥 料 

煉 火 

酒 、醤油、 咏 

噌 

永 糖, 精糖 

鳳 梨罐詰 



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社 名 



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牡丹 坑同 上/ 

藤 田 組 瑞芳破 山 (合 名) 

新 高 製氷 株式 會社ー 

同 基隆 分工場 J 

臺薄 斯 株式 會社 

臺北製 酒 合資 會社 

臺 灣水產 株式 會壯 

臺灣 海陸 逢 業 株式 會社鰹 

節 造 工場 

臺 日々 新報 社 (株式) 

臺海印 刷 株式 會社 

大阪 鐵 工場 基隆 分工場 

臺灣 醤油 株式 會社 

臺灣煉 株式 會社 



一日 本 臺灣茶 株式 會社 



新 竹製 腦 株式 會社 

新 竹電燈 株式 會; M 

资田 石^ 株式 會社 苗栗ェ 

揚 



製 — 品 

金、 銀、 銅 

金 及 銀 

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印刷、 製 木, 

印 刷 

船舶 同 機、 造 

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明治 四十 一 年 

同 四十 二 年 

同 四十 三年 

同 四十 四 年 



,第 十七 章 電 氣 , 

本島の 官 營電氣 事業 は 三十 六 年 地方税 支辩を 以て 臺牝廳 文 山堡直 潭庄龜 出に (M: 勢溪の 落差 を 利用し 六 百 六 

十 馬力の 發電所 を 設置せ る を 以て 其の 嚆 矢と 爲 す是れ 現今の 第 - 發電 所な り 次いで 三十 八 年電氣 使用 親 則 を 

發 布し 諸 工事の 竣工 を 待ち 臺北三 市街 一般に 電氣 供:, ま を 開始した るに 需要 は 忽ち 供給に 超過す るの 盛況 を呈 

せり 仍て 四十 年 更に 電力 を增 加し 千 馬力と 爲し 之れ が 需用の 不足 を 補へ., > 斯くて 同年 五月 臺灣 總督府 作業 所 

官制發布され地方税經營を國庫經營に移し新に三千馬カの發電所を其の下流小租坑に設置した.,^ 現今の 第一 一 

發 電所卽 ち是れ なり 

第二 發電 所の 工事 完成す るに 及び 四十 二 年 八月より 基隆 地方に 電力供給 を 開始し 更に 明治 四十 一 一年 度に 於 

て 阿 « 廳獅仔 頭圳の 水利 工事に 伴 ひ 其の 水路 を 利用し 竹 仔 門に ニ千竭 力の 發電所 を 設け 四十 三年より 臺南及 

打狗 地方に 電力供給 を 開始せ り 又 四十 三年 度に 於て 中部 后 里圳の 水路 ヶ 利用して 后 里 庄に千 二 t9 馬力の 發電 

所 を 設け 該發電 所の 電力 は 四十 四 年よ. り 臺中彰 化 方面に 供給し つ ,-ぁり此年稀有の大暴風ぁ.=^發電所に故障 

起り 數日 全市 暗黒の 狀を呈 したる を 以て 北部に 於て は 臺北林 員庄に 南部に 於て は 打狗に 火力 發電所 を 新設し 

て 遺憾な きを 期せり 尙ほ 今後 水利 事業の 發展に 相 待ちて 更 らに該 事業 を « 張す るの 計畫 あ,, -電 氣に關 する 諸 

表 は 次の 如し 

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大正 元 年 

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J , 第 十八 章 金 融 

本島の 金融界 は數 年打續 きたる 暴風雨に て 各種の 產業大 に 打擊を 蒙む,.^ 之が 爲め 金融 上に も 多少の 影響 を 

與 へしと 雖も 同時に 一面に 於て 一般 經濟界 に 堅實の 風 を 馴致せ しめ 殊に 大正 三年より 天候 順調に 後し 谷 種の 

產業復 た 漸く 勃興 せんとす るの 兆 あ b 從って 金融界 も 稍" 繁忙の 跃態 を呈し 來れ. り 

大正 三年 中 本島の 主要 產 物に 對 する 备 銀行の 放 資額は 砂糖に 七 五、 三 九 七、 七 一 一 圓、 米に 三 三、 四 七、 八 

九 一 圓:: 樟腦 にべ、 九 七 八、 〇 一 四圓、 金塊に 一 一 、四 七 四、 四 六 1 一圓、 茶に 四、 八 七 四 、八 九 八圓、 合計 一 三 三、 

七 七 二、 九 七 六圆を 算し從 つて 臺灣 銀行の 發行高 も 益々 膨脹し 同年 月別 平均 發行額 一 四、 二 〇〇 、七 六 一 一圓、 金 

庫 在 金 一 、〇 三 七、 六 二 九 E、 市場 流通 高 一 三、 一 六 三、 一 三 三 m に 達せり 

本島に 於け る 日本 勸業 銀行 代理店の 貸 附狀況 は 借 入れ 要求 漸次 增 加し 大正 四 年末の 貸 附高は 九 * 二 〇五* 八 

〇〇 圓に上 b た 該資 金の 用途 は 主として 坤圳 改修、 開墾、 製糖 事業 等 其の 多き を 占む る も 近 來棒樹 造林、 

柑橘 栽培、 水產 業、 酒造業 等の 用途 も 漸次 增加を 見る に 至れり 貸附 年限 は 十箇年 乃至 十 五箇 年に して 利率 は 

< 分 乃至 九分の 間に 在り 

. 旣設 銀行 は臺灣 銀行、 三十 四 銀行 支店、 臺灣 商工 銀行、 彰化 銀行、 嘉義 銀行、 新 高 銀行の 六 銀行に して 谷 

地に 支店 出張所の 設け あり 殊に 臺灣 銀行の 如き は內地 及び 支那、 南洋、 英國、 米國 等に も 支店 出張所 を 設け 

本島 產 業に 資する の 外 廣く外 國爲替 を 取扱 ひ 居れ. =^ 

臺^ 銀行 は 紙幣 發行權 を 有し 所謂 本島の 中央銀行な.^ 同 銀行の 資本金 は 從來五 百萬圓 な, 9 しが 四十 三年 四 

月 之 を 一 千 萬 圓に增 加し 间 月 法律 第 四十 六號を 以て 銀行券の 保 證發行 高 も 亦 一 千 萬 圓に擴 張せられ た りしが 

大正 四 年 中更ら に 資本金 一 千 萬 圓をニ 千 萬 圆に增 加し 益々 本島の 經濟界 に 貢献し つ あり 金融に 關 する 諸 表 

は 次の 如し 

銀行 總表 ハ 大正 三年 度) 



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備考 三 十四 銀行の 欄に 於て 純益 金 以下の み 本島 各 支店の 計算な リ: 



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銀行 金利 (大正 三年 七月) 



銀行 貸 出金 (大正 三年 度) 



市場 金利 (每月 平均 月利) (大正 三年 度) 



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第 十九 章 賀 易 

本島 貿易 は 領臺以 來關稅 の 重 課に よ, 9 著しく 外國 輸入 を 抑制し 殊に 對岸 輸入品 は 協定 稅 率の 特惠を 受け ざ 

るより 極度に 其 輸入 を 阻止され 關稅の 障壁な きと 内 臺間航 通の 頻繁と は兩者 をして 經濟的 連結の 度 を 進めし 

め內地 貿易 獨り 盛大なる を 見る に 至れる ものにして 島內の 開發、 富力の 增進 は改隸 以降 內外 貿易 をして 逐年 

著大なる 發達を 告げした め 明治 三十 四 年 迄 は 內外總 貿易 額 は 三千 餘萬 圆臺 な.. - しもの が 三十 五 年より 四千 萬 

圓臺に 進み 爾來 逐年 破竹の 勢 を 以て 激增し 四十 三年に 至 b 一 躍 一 億 八 百 萬 圓に上 ぼり 砂糖、 米の 移出 激增は 

大正 四 年に は 1 一億 八 千 九 百 萬圓に 進み 明治 三十 四 年の 夫に 比し 實に 十五 年間に 約 十倍の 增加を 見た る ものな 

,0 內外賀 易 上 最近の 現象と して 特記すべき は 對岸諸 港へ 內地雜 貸の 仲繼 輸出 激增 し^る ことにして 年額 百 萬 

圓 以上に 達し 輸出 總 額の 約 一 割 を 占む るに 至.^ 近時 火藥 製造の 勃興に 俾ひ其 原料と して 酒精の 移出 激增 を告 

げ 大正 四 年に は 五 百 三十 二 萬 M に 達し 前年に 比し 一 躍 三倍の 激增を 示し 砂糖、 米に 次き 移出 品 中の 第三 位に 

進め, 而 して 今後 内外お 易の 堦進 は. 鳥 情の 進 運に 伴 ふ 自然の 數」 して 特に 內地 移出 は 砂糖、 米、 酒精の 增產 

と共に 激 すべき は 明に して 內外 貿易 關係は 島 內生產 物の 增 減に 伴 ふ仲繼 輸出 增 加に 伴 ふ 移入 增と內 地經由 

n 輸出の 增 加に 由る 移出 增 及び 此分 輸出 減に 支配 さる X もの 多き を 想 はしむ 左に 內地 及び 外國 貿易 累年 對照表 

( 及び 其 他 を 表示 せん 



貸 出 余 累年 tiiis- 



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備考 表 中 1.^ 附 せる は 輸出 及 移出 超過と す 

輸出入 貨幣 及 金銀 地金 價格 



內地及 外 國賀易 累年 對照表 



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備考 表 中 Iv^ 附 せる は 輸出超過 とす 

移出 入金 銀貨 地金 及 紙幣 價格 




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卽四 十四 年に 至,..^ て は 更に 上進して 貿易 總額ー 一 八、 一 ニニ、 七 七 九 圓の旦 額に 上り 之 を 三十 年の 賀易總 額 



三千 百 二十 三 萬 餘圓に 比すれば 三十 八 割 弱 卽ち紛 四 倍に 相當し 四十 三年の 一億 八 百 八十 八萬餘 圓に對 照す る 

も 尙ほ九 百 二十 二 萬 圃卽ち 八 分 五" r 滞の 增加 にして 實に 未曾有の 好成績 を 現せ 然るに 大正 元年に 至,.^ ては更 

に 六 ぼ 萬圃以 t の增. g を 示し 三年 は 戰亂の 影響 を 被りし にも 拘ら す尙 一 億 萬 圆臺を 維持す るの 好況な..^ き而 

して 輸 移出 重要 品 は 砂糖、 米、 烏龍茶、 1. ! S 腦油、 包 種 茶、 S 複實、 苧麻、 寵眼 等に して 移入 重要 品 は 

各種 綿布 類、 阿片、 木材 及 板、 海産物 谷 種 肥料、 酒類、 煙草 類、 セメント、 麥粉、 石油、 米、 SJ 蓆 等な b 

斯の 如く 逐年 贸 易の 好 成蹟を 現せし は 本島 一 般の 經濟界 極めて 順調に して 諸般 產 業の 發展 殊に 製糖業の 殷 

盛、 攻府 事業の 繼續、 輸出 稅廢 止の 影響 移住 內地 人の 增. g 本島人の 風俗 推移に 伴 ふ 嗜好の 變遷 等の 積極的 原 

因が 新 關税の 加、 風水の 災害、 支那 革命 動亂 影響 等の 如き 消極的 原因に 打ち勝ち たる 結果な b と 謂 ふべ し然 

して 大正 三年 度 輸出品 は 北米 合 衆圃を 第一位と し 支那 之に 次ぎ 觀頜 印度、 獨逸、 英國、 怫圃、 香港、 海峽殖 

民 地、 濠洲、 關東洲 の 順序に して 同年 度 輸入品 は、 支那、 英國、 海峡 殖民 地、 北米 合 衆圃、 獨逸、 蘭領 印度、 

土 耳 古、 關 柬洲、 佛領 印度 其 他の 順: t な b 尙參考 として 二三の 事項 を 表示 ゼん 



港 列 輸出入 及 移出 入 品價袼 (大正 三年 度) 



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第二 十 章 鐵道. 

鐡 道の 赴く 處卽ち 文化の 赴く 處、 本島 產 業の 發展と 人文の 啓 發とは 主として 鐡 道の 利便に 賴る、 現在の 鐡 

道 營業哩 程 は 三百 二十 六哩 にして 內縱貫 線 二 四 七哩五 (基 隆打拘 間)、 淡水 線 ニニ 哩ニ (臺北 淡水 間)、 阿 維 線 

】 五哩三 (打 狗阿緩 間)、 臺東線 四ニ哩 (花 蓮 港 水 尾 間)、 阿里 山 線 八哩八 (嘉義 竹 頭 崎 間) なり 縦貫 線 は 本島の 

ニ大 港た る 基 隆打狗 の 兩港を 南北に 連絡せ る客貨 移動の 大動脈に して 淡水 線 は 本島の 首府 臺 北と 南 淸 貿易の 

要港た る 淡水と を 連結せ...^ 阿餱線 は打狗 よ. り 鳳 山 を 經て下 淡水 溪 右岸 九 曲 堂に 達し 更に 阿 線に 達す 阿里 山鐡 

道 は 延長 四十 六哩 主として 阿里 山材 運搬の 用に 供し 大正 二 年 阿里 山 作業 所の 管理に 移れ. -臺柬 鐡道は 東部 臺 

灣開發 の 第 一 著步 として 花 蓮 港 璞石閣 間 五十 七哩の 線路 を 敷設す るの 計畫 にて 四十 二 年度 以降 六箇 年の 繼續 

事業た. > しが 行政 及 財政 整理の 結果 工事 年限 を 伸長し 大正 六 年度に 至る 九ケ 年の 繼續 事業と なせり 而 して ェ 

事の 工程 は 順次 竣功す るに 從ひ營 業 を 開始し 大正 三年 度 迄に 約 四十 ニ哩 開通 水 尾に 達せ b 此の 鐡道 は經 費の 

節約 を 顧慮して 暫く ニ呎六 吋の 狭軌 を 用 ひ 隧道 « 梁の 如き は 三 呎六吋 標準に 依りて 築造し 以て 他日 東西 連絡 

の 便に 供す るの 設計に 出で たり 愈,^ 竣工の 曉 きに 至らば 東部 臺灣の 富 源開發 せられ 同地 方の 產 業界に 一 新生 

面を拓 くべ く延て 更に 時勢の 要求に 應じ 中央 山脈 以東の^ 野と 西海岸と を 連絡す るの 鐡道施 読 を 見る も 蓋し 

遠き にあら ざるべし 尙臺 北基隆 間の 鐡道 線路 は 運輸 交通の 關 係に 於て 複線と 爲 すの 必要 あるより 大正 元年 度 

より 同 三年 度に 至る 三箇 年の 繼續 事業な..^ しが 財政 及 行政 整 狸の 結果 更に 議會の 協 贊を經 て 三年 度より 年 割 

額 を 變更し 大正 五 年度に 至る 五ケ 年繼續 事業と せり 鐡 道に 關 する 諸 表 左の 好し (但臺 東 線 を 合ます) 



(51) 



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) 私設 鐡道 私設 鐡道は y 次發 達し 大年 三年 末に 於け る旣成 線路 は 九 百 六十 三哩六 分に して 內營 業哩は 二百 

び 六十 哩 一 かに 達せ b 運 轉機關 も亦增 加して 機 關車百 三十 三 1:、 客車 百 六十 輛、 貨車 九 千 三十 六 輛 を 示し 運輸 

收 入金 三十 八 萬 八 千 四百 六十 七圓に 上れり 而 して i^" 設 軌道 は 著しき 發達を 遂げ 大正 三年 末に 於け る 旣成線 六 

百 三十 六 1- 一 一分、 臺車數 四千 八 ぼ 十 一 臺、 運輸 收 入金 九十 五 萬 七 千 七 百 九十 八圓に 達せ.. > 

第二 十一 章 道 路 . ♦ 

領臺 前に 於け る 本島の 道路 は專ら 地方 人民の 共同 經營 若く は 富豪 种 商の 特別 經營に 委ね 稀れ に 一 二の 幹線 

に 向て 政府よ, 工費 を 稀 助す るに 過ぎ ざり し を 以て 毫も 其の 施設の 見る ベ きものな かりし 明治 二十 八 年 五月 

近衞 師^の 三紹 角に 上陸し 基隆を 經て臺 北に 入, -尋で 南進 軍の 三 道より 臺 南に 入り. し 時の 如き は 野砲 及彈藥 

糧食の 運搬に 障碍 を^た—) 各ェ 兵隊 をして 軍道 を 修築せ しめたる を始 とし 幾多の 軍用 道路 を 開 築し 降て 三十 

年 道路橋 梁假 準則 を 制定し 後 之 を 改正して 道路 行政の 統 一 を 期し 三十 五 年 南部の 匪徒 全滅す るに 及んで 南部 

の 谷地 方 廳先づ 競 ふて 道路 を 開 築し 北部 备廳 亦銳意 道路交通の 計 畫を實 行し 以て 今日め る を 致せ. 道路に 關 

する 累年 比較 は 次表の 如し 

道路 及 橋梁 (各 年 十二月 三十 一日) 



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. 第 二士 章 便 

頜臺 前の 本島に 在りて は 未だ 郵便 制度と して 見るべき もの あら ざ b しが 二十 A 年 我 軍隊の 膨 湖島 を 占領せ 

るに 當り同 廳內に 始めて 野戰 郵便局 を 設置せ り是れ 本島に 於け る郵使 制度の 嚼矢 にして 當時 軍隊の 前進に 伴 

ひ 兵站部 所在地に 之 を 設置し 二十 九 年 四月 民政 施行の 際該 郵便 二十 箇所 は 普通郵便 及 電信局に 改め 等級 を 

】 二等に 定めて 其 業務 を 開始し 三十 三年に 至り 電話 交換局 を 設け 後 郵便局 をして 電信 電話 事務 を 兼 掌せ しめ 

爾來 母國の 制度と 同 一 の 方針 を 取り-て 施設 經營し 殊に 本島人 を啓發 して 通信 機關の 便益 を 知らし むる に 努め 

】 般の 施設 經營 其の 宜しき を 得て 非常の 發達進 步を現 はせ り 

】 通信 官署 大正 三年 度 末 現在の 通信 官署數 は 一 等 局 二、 二等 局 一 二、 三等 局 七 六、 出張所 三 六、 無 集 

配 三等 局 三 二、 郵便 取次 所 四 七、 郵便 繼替所 一 七、 切手 賣捌所 九九 三、 郵便 函 一 、二三 二に 上り 塞 村 僻地の 人 

民 も 通信 機關の 利便に 浴し 之 を 利用す る もの 益, - 多き を 加 ふ 

二 通常 及 小包 郵便 通常 郵便 取 极數は 累年 槪ね 一 割 乃至 二割 增 加し 大正 三年 度に 於け る 引受 配達 合計 七 

七、 七 九 二 七 五 〇 通に 上り 之 を 二十 九 年度に 比すれば 約 七 倍の 增加 なり 小包 郵便 亦た 累年 約 一 割 以上の 比 を 

以て 增 加し 大正 三年 度の 取扱 物數 引受 配達 は 合計 一 、二 四 九、 二 六 〇 箇 にして 三十 年度に 比し 四 倍 强の增 加 を 

C 三 郵便 爲替反 貯金 郵便 爲替 貯金 は 二十 九 年 民政 施行の 際は尙 ほ野戰 組織の 取 汲を爲 せし も 同年 八月に 



明治 四十 三年 

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) 至 b 之 を 改めて 普通 業務の 取扱と し 郵便 取 立 金 は 同年 十月 電信 爲替は 四月よ b 島內 にの み 取扱 を 開始した.. > 

^ しが 三十 二 年 十二月 之を擴 張して 本島 內地 間に 及せ. り X 外 國爲替 は 一二 十 】 年 五月 開始し 降りて 三十 三年 十月 

改正 郵便 爲替 貯金 法 を 本島に 施行し 郵便振替 貯金 は 三十 八 年 < 月 一 般彿込 拂渡を 開始し 四十 三年 四月に 至.. 

加入者 口座 を 設け 以て 本島 在住 商工業者 等の 利便 を圖れ b 郵便 爲替 等に 關 する 統計 次表の 如し 

內外國 郵便 爲替 



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本島人と 爲替 而 して 郵便 爲替振 出 割合 を 見る に 本島人に して 郵便 爲替を 振 出す もの も 亦 年 】 年と 增 加し 

內地 人の 振 出に 比較す るに 本島人の 振 出 は ロ數に 於て 卒均八 分 一二 厘.' 金額 は 一 割 四 分 五 厘の 割合に 當り而 し 

て 年々 增加を 爲すは 之 亦 本島人が 郵便 爲替に 依る 送金 機關の 安全なる を 漸次 覺 知し 之 を 利用す るに 至 b たる 

ものなる ベ し 今 之 を 統計に 就て 見る に 大正 三年 度に 於て は 振出證 書枚數 】 〇 二、 四 1 八 枚 金額 一 1 、四 八 一 一 、五 

三 五圓、 拂渡 sf 曰枚數 一 一 一八、 七 六 六 枚 金額 二、 八 四 七, 1 一 ニ四圓 にして 之 を 十 年 前に 比較す る も 三倍 以上に 達 

し 之 を 明治 三十 年度と 比較す る 時 は 十五 倍 以上に 及べり 

郵便貯金 預入 及拂屍 



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數 五六、 〇 三九囘 金額 六 九 七? V 四ニ圓 にして 之 を 十 年 前に 比較す る 時は預 入金 高に 於て 約 三倍に 達し 逐年 增 

加の 傾向 を 示しつ \ あり 而 しで 郵便貯金 預入 平均 一 人 金額 は 三年 度に は六圓 七十 一 錢を 示せ. 5 

郵 1^ 貯金 預入 人員 及 金額 (各 年度 一-月 三十 一日 現き 



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第一 一十三 章 電 信 , 

二十 九 年 民政 創始 當 時の 電信 線路 延長 は 僅 に 約 一 九 一 里の 陸上 線と 安平 澎 湖島 間 約 五 二 浬の 海底 電線 あ 

るに 過ぎ ざり しが 大正 三年 度 末に は隆 上線の 延長 一 、 〇 五 四 里餘に 達し 且 電信 線 を 電話線に 共用せ る もの 六 

五 里餘、 海底 線 五 七哩餘 を算し 海底 線 は 現今 遞信省 所屬に 係る 淡水 長 崎 間 六 七 二 浬、 淡水 那覇間 五 二 五 浬、 

淡水 福 州 間 一 五 〇 浬 は 孰 も 本島 發著 電報に 關係を 有する に H ャれ. 9 

電 き 口 §i (公衆 通信の 用に 供す る もの) (各 年度 三月 三十 一日) 



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內外 國發著 電報の 



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第二 十四 章 電 話 

三十 三年 電話 事業 創始の 際 は 其 局所 僅かに 五 筒 所 通話 取扱 數も 極めて 僮 少な. - しが 爾來 年々 S? 加し 四十 四 

年に 至りて は 局所 數九 一、 加入者 區«內 三、 ニニ 九 人、 料金 二 一七、 九 〇 ニ圓に 及び 更に 大正 三年 度に 於て は 

加入者 四、 四 一 七 人、 料金 illoll 、三 〇< 圆に 達し 著る しく 發 達せる を 見るべし 今 左に 電話に 關 する 統計 を 表 

示す ベ し 

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本 表の 外 水底 線 明治 一 一一 十八 年度 線路 及 線條各 一 〇 町 心 線 一 里 四 丁な リ水 產ケ ー プヤ 大正 二 年度 及 一一 一 年度に 線路 浬 五 iir 線條 一 一一 浬 一 七、 心 

線 四 浬 二三 もリ X は 電信柱に 添 架の 電話線 條 4^ リ 



種 別 明治 年度 







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同 三十 八 年、 

同 三十 九 年 

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) の 修築に 著 手せ b 左に 其 槪耍を 摘記す 

Z 一 基隆 基 隆港は 臺北廳 下三紹 角と 富貴 角との 中間に 深く 彎入す る港灣 にして 港口 は 北々 西に 開き 柬西 

南の 三面 は 殆ど 峰巒に w 繞 せられ 往古より 本 鳥對外 交通の 衝に 當. -內外 船舶の 輻輳 を 見たり 然るに 領臺當 時 

の 本 港 は 港 內水淺 く 船舶 は 深く 港粵に 進行す る こと 能 はす 且每年 半 歳 を 通じて 東北 位 風の 爲め 港内に 波浪 浸 

入し 來 b 安全に る 碇泊 を 得る 能 はざる の狀 態な りき 玆に 於て 頜臺後 直に 諸般の 調査 を 進め 明治 三十 二 年-ば 3- 

. 降四箇 年繼續 事業と して 港內 一 部の 俊 « 其他應 急の 設備 を 施しに, -其 結果 三千 噸級內 外の 船舶 を港粤 一 浬 半 

に 導き 接 橋に ニ隻 繋船 浮標に ニ隻を 同時に 繋留し 得る に 至り 當時 多大の 便益 をぜ せり 越て 明治 三十 八 年度に 

至り 第二 十二 議會の 協 贊をー I 明治 三十 凡 年度より 同 四十 五 年度」 至る 七箇年 *i 事業と して 豫算金 六 ぼ 二十 

萬 M を 以て 年來の 懸案た る 築港 工事に 著 手したり 其 間 本島の 發展は 遠 然として 其步を 進め 諸產業 U 勃興 は 運 

輸 交通の 頻繁 を 加へ 來 b 更に 其擴大 施設 を 要する の 止むな きに 至り 第二 十八- 1: 帝 國議會 の 協 贊を經 て 明治 四 

十五 年 (大正 元年) 度 以降 大正 八 年度に 亙. 5 工費 五 百 十七 萬圓を 追加し 引續き 工事 を 進めつ あ.^ 其の 設計 大 

略 左の 如し 

1 、 旣定 計畫の 俊澳. 工事 は 港 內仙洞 鼻內に 於て 水面 積 十五 萬 五千餘 坪に して 水深 亦 干潮 面 以下 三十 尺に 止 

ま b し を 更に 擴 張して 土窟仔 以外の 航路 及 碇泊 地 十 一 萬 三千 餘 坪と 干潮 面 以下 三十 二 尺と し 三十 尺 以上 

の 水深 を 保つ 水面 積 十八 萬 坪と し 之に 繋船 浮標 十箇を 設け 一 萬噸 以下の 汽船 六隻を 繋留せ しむ 

二、 旣設 岸壁 四百 二十 五 間に 尙 三百 六十 間 を 進 長し 六千噸 乃至 一 萬嚼の 汽船 七隻を 繋留せ しめ 岸壁 上に は 

旣定 計畫」 依る 上 家 三千 百 五十 枰の 外に 上 家 二 千 六 百 坪 及 倉庫 千 五 百 坪 を 建設し 一 ケ年 四十 五 萬 噸の貨 

物 を 呑吐す るに 遺憾な からしめ ん とす 

三、 仙 洞 鼻 防波堤 を 延長し 總長百 八十 間と し港內 碇泊 她を 安全なら しめ 且牛 稠港粤 と港內 と を 連絡す 可き 

水路 上に は 可動橋 を 架設し 之に 依. -て 岸壁に 來る鐵 道の 聯絡 を 謀. - 併せて 船舶の 一 父 通 を 自由なら しむ 

以上の 設計 を 以て 大正 八 年度に 於て 完成す ベ か りし 豫定は 其 後 數,^ ノ 財政 整理に 會ひ 大正 十二 年度の 完成に. 



延長せられ目下其中途にぁ.=^ 

二 打狗 打狗港 は臺南 庄打狗 山の 泡 麓に あ.^ て 一條の 水道に 依て 外洋に 通す る 一大 鹹湖 狀の 港灣 な.^ 我 

領有 以來當 の 南部 振興 策 は 地方 産業の 勃 典 を 促し 本 港 貨物の 集散 區域も 亦 漸次 擴大を 致し 玆に本 港 發展の 

機運 を萌 せり 本 港 は 天然の 地勢, V, 四 圍の狀 勢と により 港灣 として 優勝なる 地位 を 占む ると 雖 港口 狭隘 僅かに 

三 否 五十 尺に 過ぎす して 其 間 一 個の 獨立岩 膽數十 筒の If 碟橫は b 港內 風浪の 虞な きも 水淺 く f 3 て 船舶 は 遠く 

外洋に假泊し^險なる港外荷役にょり常に©なからざる損害と不便を蒙,.^速かに適當なる施設をなし當,面の 

急 を救濟 する にあら ざれば 物資 集散に 打撃 を 與へ本 港 期待の 使命 を果す 所以に あらや 玆に 於て 本 港 修築の 議 

夙に 朝野に 唱道せられ しも 财 政の 都合 上實 施の 運に 至らす 明治 三十 七 年鐡道 部に 於て 停車場 敷地 を擴張 せん 

とし 埋立 工事 を 施行す る 土砂 を 得る 爲め港 內の俊 渫を爲 し 本 港 改良の 實を * げたり 此 工事 は 明治 四十 一 年 三 

月 完成し 越て 四十 年 第二 十四 囘帝國 議會の 協 養 を 求め 四十 一 年度よ. -间 四十 六 年度に 至る 六ケ 年繼續 事業と 

して 豫算金 四百 七十 三 萬 三千 圓を 以て * めて 築港 工事に 著 手せ. - 然るに 世論 は 築港の 速成 を 要求し 中途 幾分 

設計 を 縮 少し 年限 を 改め 四十 五 年に 至る 五ケ 年繼續 事業に 變 更し此 希望に 應せ しむ 南部 地方 産業の 發達 は駸 

々として 本 港經由 貨物の 激增 を呈し 現 築港 計 畫は旣 に 狭隘 を感 じ更に其發展に備ふるの施設を?^さざるべ か 

. ら ざるに 至り 四十 四 年 第二 十八 議會の 協 贊を經 て 四十 五 年 (大正 元年) 度 以降 豫算額 千 二百 七十 八 萬 四千 M を 

追加し 繼續年 K を 大正 十 年度 迄 延長し 築港 計 畫の擴 張 を 決定せ b 其 設計の 大要 左の 如し 

一 、 旣 定計畫 の淡澳 工事 は港內 水面 積 十七 萬餘 坪に 過ぎす して 水深 亦 干潮 面 以下 二十 四 尺に 止り し を 以て 

更に 之を擴 張して 港內に 於て 干潮 面 以下 三十 尺の 水深 を 保ち 水面 積 三十 六萬坤 を有レ 磐 船 浮標 十五 筒 を 

設け 之に 一 萬 噸以ド の 汽船 十二 隻を 繋留せ しむ 港 內は旣 定計畫 にて は 幅員 三百 五十 尺、 水深 三寸 尺に 過 

ぎざる も 更に 之 を 幅員 五 百 尺に 擴大し 水深 亦 三十 六尺に 後渫 せんとす - 

二、 旣定 岸壁 四百 八十 間に 尙 二百 五十 間 を 延長 七 百 三十 間と なし 岸壁に 一 萬噸 以下の 船舶 十 隻を繋 せし 

( め 岸壁 中 百 三十 間 を 木材、 石炭 專門 として 六 百 間 を 米、 砂糖 其 他の 荷役 用に 充て 岸壁 上に は 旣設上 家 倉 



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) 庫 一 千 四百 坪の 外 上 家 倉庫 約 一 萬 坪 を 建設し 】 ケ年 優に 九十 萬噸の 貨物 を 呑吐す るに 遺慽 なから しめん 

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三、 防波堤 は 港外 水道 を 包容して 港口 西側よ, 5 長さ 二 千 二百 八十 尺、 北側より 七 百 六十 尺 を 築造し 本 % に 

於て 最も 厭 ふ 可き 西南の 風波 を 凌ぎ 併て 漂沙の 流動す る 憂 を 救ひ尙 船舶の 港口 出入 を 安全なら しむる に 

あり 

以上の 設計 を 以て 大正 十 年度 迄に 完成す ベ かりし 豫定は 其 後 財政 整理の 爲め 大正 十四 年度に 延長せられ 目 

下岸壁の大體を終.^港ロ取擴及び防波堤ェ事中なb 

第二 十六 章 財政. 

臺灣の 財政 は 特別 會 計と 地方 稅會 計の 二者よ, 9 成り 特別 會計は 始め 本島の 收 入と 國 庫稀充 金し を 以て 歳入 

とし 收 入の 增 加に 伴うて 漸次 國庫 稀充 金を遞 減し 四十 三年 度 を 期して 獨 立の 經濟を 立つ るの 目的な. 9 しに 當 

局の 施設 其の 宜しき を 得た る 結果と して 之が 豫定に 先ち 早く も 三十 八 年度より 全く 其の 目的 を 達し 財政の 獨 

立を爲 したる は 一 段の 進境と 云 ふ ベ し 地方 稅會訐 は 地租 附加税 を 除く の 外 特別 會 計の 賦課せ ざる 物件に 附加 

して 得た る收 入金と 特別 會 計の 稀 足 金と を 以て 歳入と し 地方 廳費 其の 他の 支出に 充て 特別 會 計と 相 待ちて 本 

島の經營を爲すの目的にて制定せしものなh^左に歲入出其他を表示す 

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第二 十七 13 堪 衞 生 

領臺の * めに 當 りて や 本島の 衞生 設備 は 全く 之を缺 け,..^ 二十 八 年總督 官房に 衞生 事務所 を 置きて 衞生 事務 

を 管掌せ しめ 後 公衆衛生の 事務 は 民政 局內務 部警保 課に 掌理せ しめた, 9 しが 一 一 十九 年衞生 課の 設置と 共に 之 

を 间諜 に 移し 爾來衞 生 行政に 關 する 諸般の 制度 を 設け 專ら 之を督 凝せ しに 依り 漸次 面目 を 改め 一 般の衞 ゆ 的 

施設 略,^ 遺憾な きに 至れ b 左に 衞生上 主要なる 事項の 梗槪 を摘錄 せむ 

T- 阿片 行& 阿片 問題 は 領臺當 時 最も 當 局の 者 慮 を 煩 はし 本島の 民情 慣習 を 調査して 所謂 漸禁 主義 を 取 

h^^i治し難きものに限.:^ 一 定の 規則の 下に 吸 食 を 特許し 阿片 烟膏 は官の 製造 專賣と 爲し吸 食 特許 者の みの 

l-i 用に 應 する こと. -し 一 般に對 して は 阿片の 輸入 製造 賣買 授受 所有 吸 食 を 嚴禁し 漸次 阿片の 害毒 を 除去す る 

の 政策 を 立て 三十 年臺灣 阿片 令 及 同 令 施行 親 則を發 布し 同年 四月よ."^ 實 行に 荖 手し 三十 三年 九月に 至り 全島 

の 阿片 癮者 一 六 九、 〇 六 四 人に 對し 阿片 吸 食 を 許した.. -、 爾來吸 食 特許 者の 死亡 若 は 廢烟に 依りて 年.々 其の 數 

を g 減し 四十 三年 末に 於け る 吸 食 者 現在 員 は 九 八、 九 八 七 人に 遞狨し 大正 三年に は 七 六、 九九 五 人となり 著々 

好 果を收 めつ \ あ 

rj- 呆健 ^上水 下水 水道 を 敷設して 淸澄 善良なる 上水 を 供給し 下水 を 築造して 汚水の 排除 を 計る は衞 

生::^ 最も 緊要:::; する 所なる を 以て 總督府 に 於て は 早くより-之 を企畫 し 本島 16 要の 地に 於て は旣に 其の 工事 を 

後へ 或は 其の. 計畫 中に 屬 する もの 亦 極な からす 現在 水道 を 敷設し ある 市街 は 淡水、 基隆、 彰化、 臺北、 士林、 

金 包 里、 北投、 頌 石閣、 大甲、 打狗、 嘉義. 斗 六、 八哩 砂、 卑南 等の 谷 市街に して 現に 工事中の もの は 阿 維、 

臺中、 臺南 にして 下水 規則 を 施行し ある 市街 は臺北 * 某: 隆、 宜蘭、 新 竹、 臺中、 臺南 t 桃園、 鳳 山、 阿 維 及 

羅 東の 谷地な. CS 叫 家屋 建築 下水工事の 施行に 當.^ て は 毎に 之に 伴うて 市區を 改正し 井然 たる 街衝を 設けて 

) 採光 通風に 便せ;^ こと を 計り 陋鬱 なる 本 1? 家屋の. 構造 改善され たる もの 多く 現に 家屋 建築 规則を 施行し つ X 

び ある 市街 は 臺牝、 某隆、 新 竹、 臺中、 嘉義、 臺南、 打狗 なり ハ 市場 善良なる 飮 食物 を 供給し 其の 他 * 活上 



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9 必要なる 物品 を販賣 する の 便 を與 ふる 爲め歐 米の 例に 傲 ひ 衞生的 設備の 下に 市場 を 有する 市街 は 臺ヒ、 臺 

C A、 臺中、 嘉義. 新 竹、 祧園、 臺東 t 南投、 花 逢 港、 澎湖 等谷廳 下に 亙りて 百 四十 餘 箇所 あり.; T 汚物 掃除 

主要 市街地に 於て は 常時 強制的 汚物の 掃除 を 施行せ しめ 又 毎年 ニ囘 本島 一般に 大淸潔 法 を 施行 力る の 例に し 

て m 物 掃除 親 則 を 施行し ある 市街 は臺北 * 墓隆、 宜蘭、 新 竹. 臺中、 彰化、 嘉義- 臺南、 安 早、 打狗 なり 

1^1 防疫 八 稱傳染 病 は 先年 淸國 又は 內 地に 於て 虎 列 刺 、痘瘡 等 流行の 際 一時 其の 侵 襲 を 受けた る こと あ 

b しも 流行す るに 至ら やして 熄滅 せし が 其の 他 は 赤痢、 腸 窒扶斯 の 如き 四時 を 通じて 發生 なす も 少數の S 者 

あるの み而 して 常時に 於ても 海港 檢疫を 始め 豫防上 周到なる 规定の 設け あり 又 種^ は 通^ ー囘 施行 を 原 W と 

する 等爾他 特種の 進 4- を 示す もの 錄し とせす 而 して 「ペスト」 「マラ リャ」 豫 防に 就て は 近年 民間に 防疫 組合 を 

組織せ しめ 臺北、 臺南、 基隆、 桃園、 大 嵙崁、 嘉義、 北 港、 鹽水 港、 安平、 橋 仔 頭 * 打狗、 鳳 山、 阿 娘、 蕃 

t 花 蓮 港、 撲 石閣、 卑南 等の 市街地に 設置し 官の 施設と 相俟って 防遏 のこと に當 らしめ 其の 成績 敷して 

良好なる が 如し , 

「ぺ ス ト」 明治 二十 九 年 本 病 初 發以來 一 時 病勢 娼獗 なりし も 今や 大に衰 へ 唯嘉義 を距る 西方 十 餘里樸 仔 脚 

附近の 地方に 於て 春 夏の 候 少数の 患者 を發 生す るに 止まり 病勢 亦 頗る 緩慢に して 累を他 地方に 及ぼす が 如 

き 憂な し 最近 平均 年の 實.^ を 見る も 明治 四十 三年 度に は 僅に 十九 人に 減じ 5g 四十 四 年度 三百 八十..,、 大正 元 

年度 1 一 百 二十 三人- 同 二 年度 百 三十 六 人、 同 三年 度 五 百 六十 人に 過ぎす 累年 患者 年表よ 左の 如し , 



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す ラ リャ」 本島の 風土. 病中 最も 注意すべき ものにして 領臺當 時に 於て は內地 人の 之に 斃 る.^ 者 極めて 多 

か. - しが 近年 衞生 上の 施設 漸次 歩武 を 進む るに 從ひ 僅に 二三 地方に 於て 流行す るの みなる も 年々 一 萬 以上の 

本 死者 を 出し 今尙 ほ, :!? 民 死 {J の大 K 因な.. > と 云 ふ を 得べ し 總督府 は 去 四十 四 年より 上述の 如く 本 病 防遏の 

爲 特に 防 退 作業 を W 施,.^ 銳袁 之が 掃滅に $^ 瘁 せしめ 居れり 而 して 其 箇所 は臺 中、 嘉義、 臺南、 阿 維、 花 蓮 港、 

臺北廳 下に:, i^.^ て總て 十七 ケ所」 及び 著々 其 效果を 奏しつ あり 

總^ 府の 特別 防遏 方法に 依り 臺北廳 北投、 金 包 里、 瑞芳及 臺中廳 員 林に 於ても 「マラ リャ」 防 遏法を 施行し 

其の 成賴亦 良好な り 

四 臀事 ィ 官立 醫院 本島の 醫事 行政 も 漸次 良好に 進み 官立 醫院に 於て 取扱 ふ 患者 數の 如き 年々 增 加す 

るに 至れり 官立 \lc 院を 設置し ある 市街 は臺 北、 茶: 隆,、 ^.:1驅、 新 竹、 臺, 中、 嘉義 * 臺南、 阿 線、 卑南" 花 蓮 港、 

媽 か:: なり D 公 翳 各廳下 枢要の 地に 配置し 之に 所定の 手 當を與 へ 公衆衛生 上の 铺翼 機關 たらしめ 傍ら 開業 を 

許せ. 本島人 15 帥 三十 二 年 醫率校 创立以 來多數 の 卒業 者 を 出し 官衙、 病院に 在職す る 者 ある も 其の 大部 

は 谷地に 開業し 居れ b 而 して 其の 成績 頗る 良好な,.^ 今 左に 參者 とすべ き 統計表 を 示さん 

衞 生機關 



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堙膏 の賣下 開始 は 三十 年 i べにして 最近 十 年間の 賣下數 量 及 價額は 左表の 如し 

阿片 煙膏賣 下數量 及價額 



第一 不八章 專 賣 

總督 府專賣 局の 萆業は 阿片、 き 椅腦及 煙草の 四 種に して 阿片 は 明治 二十 九 年 四月よ.^ 食 鹽は同 三十 二 年 

五月より 棒腦は 同年 八月より 煙草 は 同 三十 八 年 四月より 各專賣 制を實 施し 其の 收入は 本島 歳入 中の 重要 財源 

た b 今 谷 種專賣 品に 就て 事業 開始 以降の 成績 を 左に 槪 記すべし 

一 阿片 阿:1^#に依..^吸食の特許を得たる者の需用する阿片煙膏の製造は當1初ょ.=>官業に屬し賣品には 

一 二三 等の 別 ある も 二等 は 需用 減退の 爲三 十七 年度 以^ 製造 を 中止せ り 最近 十 年間の 製造 高 は 左表の 如し 

阿片 煙膏 製造 高 • 



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原料 阿片 は 主として 印度 產及波 斯產を 使用す 煙 膏賣下 高の 增減は 阿片 令 施行の 當 一羽 匪賊の 跋扈 警察 機關の 

不備 等に 依り 吸食癮 者の 調査に 時日 を 要した る爲め 三十 三年 度 迄 自然に 賣下 高の 遞加ぁ b しも 三十 四 年度に 

. 於て は 著しく 減少し 爾後 復增 加した る を 見る 斯の 如き は漸 禁制 度の 下に 於て 一 見 頗る 奇異な りと 雖も 是れ盖 

し 周到なる 取締の 結果 阿片の 密輸入、 密賣 望、 密 製造 等 を 減少し 叉 時々 新 癮者を 網羅せ る 等の 事情 あるに 由る 

賣下 品種の 步合は 三十 六 年度 以後 は 二等 著しく 減少し 三等 も 亦 漸次 遞 減し 獨り 一 等の み累々 增 加す るの 狀勢 

あ. しも 四十 三年より は 漸次 減少の 趨勢 を 示し 斯くて 大正 三年 度に は 百分比 は 一 等 八 五上 ハ、 三等 は 一 四? I ハ 

の 割合と なれ b 是れ吸 食 者の 生活 程度が 次第に 向上し 其の 嗜好 も 亦 之に 伴 ひたる ものなる べし 

二 食鹽 專賣 制度 施行 當時 全島の 輾田 僅々 三百 五十 餘 甲に 過ぎ ざり しが 大正 三年 度 末に 於て 千 六 百餘甲 

わ 製 賺所十 ケ 所に 增 加せ b 最近 十 年間 島 內產鹽 收納高 は 左表の 如し 

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本島 產鹽 額の 增 加す るに 從ひ 島內の 需用 額 を 充實し 其の 剩餘は 之 を 島 外に 販賣 する は 政府の 當ー 初よ h^w 畫 

せる 所 今や 內地及 朝鮮 移出の 外、 樺 太 及露領 沿海州 方面に も 亦 本島 鹽を 需要す るに 至れ, 9 最近 十 年間に 於け 

る 食 鹽賣渡 數量は 左の 如し 

食鹽賣 渡數量 



三 椅腦 粗製 樟腦 及副產 物た る樟腦 油の 製造 は 官業の 外 之 を 出願者に 特許す るの 制に して 十 年間に 於け 

る 粗製 樟腦 及樟腦 油の 製造 高 は 左の 如し ■ 

趣製撺 腦:^, 樟腦油 製造 高 . 



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本.: :5 に 於て 產出 する 樟腦は 世界 消費 額の 大部分 を 占め 專賣 制實 施の 結果 自然 價 額の 騰貴 を 促した る爲 一 時 

衰退せ る內 地の 製 腦業を も 復興せ しめ 特に 三十 六 年 十月 內地 本. 島 共通の 專賣 制を發 布し 名 實倶に 獨占的 商品 

たるに 至れ h 明治 四十 年 以降の 外國 輸出 高 は 左の 如し 

樟腦輸 移出 高 

外國 輸出 高 



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由 來淸治 時代に 於け る 本島の 市街 は 不潔に して 瘴竊 の氣 街衢に 充満し 惡疫 年々 猖獗を 極む るの 狀態 なりし 

が 故に 領臺當 時 直に-市 區 改正の 計晝 あ, 明治 二十 八 年 軍事費の 一 部 を 割きて 先 づ臺北 市街の 排水 工事に 著 手 

し 同年 秋內務 省衞生 顧問 英人 ダブ リ ュ,、 ケ ー: ハ ル トン 氏を聘 して 全島 各地に 就きて 之が 調査 を 遂げ 進んで 

柬洋谷 殖民 地 を、 巡視して 親しく 熱帶 亞熱帶 地方に 適當の 設備 方法 を講 せしめた る 後 新 嘉坡の 先例 を 採,^ 下水 

を 開渠式 分離 法に 依る の 方針 を 定め 爾艰臺 北 市街 下水溝の 設備 を 進め 來り 一面 市區 改正 計畫の 必要 上 三十 一 

年 十 一 月 總督府 及 所 屬官衙 の 高等官 中よ. > 委員 を 擧げ臺 北 市 改正 訐畫 委員 會を 設立し 市 區の區 劃 及 銜欐を 



專賣 煙草 は內地 製造 煙草、 外國 製造 煙草 及 臺灣刻 煙草の 三種に して 專賣局 は 前 一 一 者 を 購入し 後 



四 煙草 

者 を 製造せ • , 

島 內の葉 煙草 耕作 は 僅に 臺灣刻 煙 所要 原料の 幾分 を充 たす に 止まり 大正 三年 度に 於て 其の 收納葉 煙草 數 

量 八 七 二、 三 四 〇 片價額 一六 一 つ 五 九 一圓 を算 する に 過ぎす 支那より 購入した る もの 却て 多額 を 示す 今 左に 最 

近 各 SS 製造 煙草の 受拂價 格 を 示さん 

製造 煙草 受拂價 額 (S) 



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第一 一十 九 章 巿區改 E 



(73) 



定め 且衞生 上の 施設に 關 する 審査 機關 とし 1 二十 三年 八月 初めて 臺 北城內 に市區 改正 工事 を 施行せ りと 雖も當 

時 は 僅に 排水 工事に 著 手せ るに 過ぎす 三十 三年 十二月 委員 會を臺 北 基 隆市區 改正 委員 會と 改めて 基隆を 加へ 

越へ て 四十 三年 五月 更に 臺灣 總督府 市-脇 計畫 委員 會と爲 し 全島の 市 區及衞 生 施設に 就き 完全なる 設計 を 立て 

しむる の 諮狗機 關と爲 せ, -而 して 現今 市街 道路 下水の 改修 市 一 £| 改正 實施 中の 重なる ものば 基隆、 臺北、 臺中、 

i. 嘉義、 打狗, 阿 線 等の 谷地 • 方 四十 餘 市街に 及び 殆んど 其の 舊態 をー變 せる もの あり 今猶ほ 進んで 根本 

的市區 改正 事樂を 進排中 なれば 全島の 市街が 文明 的 生活に 適合すべき 街衢と 爲るも 蓋し 遠き 」 非ざる? し 

臺北 市の 市區 改正 臺北 市の 市 改正 計畫を 立てた る は 三十 三年 八月な りしが 爾來 市街の 發展に 伴 ひ屢次 

其の 設計 を 變更し 三十 八 年 十月に 至 b 全市 三百 餘萬 坪に 亙. 5 人口 十五 萬 人 を 收容し 得べ き 大親模 の 計 畫に改 

めたり 卽ち 市街 中央に 約 二 萬 三千 坪の 公園 を 設け 舊 城壁 跡に は リング ガ— デン として 遊 覽道を 造、 り 市内 諸 地 

點に園 形 或は 半 園 形の 綠樹帶 あ b 總延長 二十 二 里の 道路に は 幅 十 間、 八 間、 六 間" 五 間、 四 間、 三 間の 階級 

を 付し 谷 級 共 其の 兩 側に 步道を 設けて 或は 之 を亭仔 脚に 利用し 又は 木 を栽植 せ. 9 又 下水 計畫 (總 延長 四十 

五 里) は 公共 枝 線 約 三尺 幅 迄は總 て開渠 とし 幹線 は 暗渠と して 南門 外艋舺 方面 (聚 水面 積 三 七 A 、八 八 三 坪) 東 

門 方面 (同 五六 四, 五六 八 坪) 大稻埕 方面 (同 三 一 七、 六 九 四 坪) の 三 幹線と 城 內整堙 幹線 三 線 (四 四 九、 三 三 〇 

坪) を 合して 六 幹線と す而 して 是等 道路 下水工事 材料の 主なる 石材 は舊 城壁の 石材 を 利用せ. - 乃ち 舊 政府 時 

代に 於て 人命 保護 上缺 くべ からざる 防備と して 築きた る 城壁の 石材 は 今や 等しく 人命 保護の 目的 を 以て 市街 

設備の 基礎た る 下水工事 及び 道路に 轉 用せられ 其の 趾跡は 卒和的 健康 保 維に 必要なる リ ン グ ガ ー デ ン の 敷地 

と爲. たる は 人文 發達上 興味深き 變 化と 謂 ふべ し 今 明治 二十 八 年度より 大正 三年 度に 至な 臺北市 :5i 改正 工事 

費 を 示せば 左の 如し 

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領 臺以來 本島 重要 史 



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明治 二十 グ年 (一 千 八 百 九十 五 年.) 

〇 四月 十七 日 下の 關條約 成る 

〇 五月 十日 海軍 大將 子爵 樺 山資吒 P 臺灣 總督仰 付ら る 

〇 五月 二十 一 日 水野遵 民政 县官に 任で 

◦ 六月 一日 近 衞師團 三紹角 上陸 

◦ 六月 十四日 樺 山 總督臺 北 城に 入る 

OH ハ月 十七 日 總督 府始政 式擧行 

〇 八月 二十 六日 南進 軍臺 中. „ ^占領す 

〇 十月 九日 近衞 師顧嘉 義ん」 占領す 

十月 十六 日 第二 師圑鳳 山 1 ^占領す 

十月 二十 一日 兩軍臺 南 城 占颌す 

〇 十月 二十 八日 近衞 師麗县 能久 親王 殿下 薨去 



明治 二十 九 年 

〇 一月 一日 土匪 臺北 城.^ 襲 ふ 

〇 四月 七日 拓植務 省 v^s かる 

六月 二日 樺山總 督榲密 顧問 官に 任じ 陸軍 中將 子爵 桂 太郎臺 灣總督 

に 任ず 

〇 六月 十三 日 伊藤 内閣 總理 大臣 西鄕 海軍大臣 渡臺 同日 桂總 SJei 

〇 十月 十四日 桂 總督辭 職 陸軍 中 將乃木 希 典 臺灣總 督に任 す 

〇 十 力 二十 二日 ペスト 患者 初めて 臺 北に 發 生す 

〇 十一月 九日 乃 木 總督著 任 

明治 三十 年 

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(75) 



〇f 月 二 十六 日 大 朁閣蕃 討伐 開始 

〇 五月 八日 土匪 蠆北 城.^ 襲 ふ 、 

〇玉 月 十六 日 蠆灣內 地 間 海底電信 嫂ェ 

〇 六月 二十 八日 モリソン 山 新 高山と 稱 すべき 旨 御沙汰 ゎリ 

〇 七月 十七 日 水 野 民政 局 Ife 非嘅 命ぜられ 曾 根靜夫 後任 

〇 七月 一 一十 一 日 國語學 校 官制 發布 

〇 八月 三十 一日 拓殖 局 官制 臌止 

明治 三十 一 年 

〇 二月 二十 六日 乃 木 總督辭 職 陸軍 中將兒 玉、 1 太 郎臺灣 媿督に 任ぜら 

る 

〇11 一月 二日 曾 根 局 县辭職 後藤 新 平 後任 

〇 三月 四 B 國語學 校に 中學科 新設す 

〇 三月 二十 八日 兒玉總 督著任 

〇,p 月 四日 1^.5 國 政府 福 建 省 不割讓 の 宣言 爲す 

〇 六月 十八 日 總督府 官制 改正 民政 部 降 軍 幕僚 海: 単 幕僚.^ 置き 地方ず 

官制.^ 吹 正し 三縣 三府 V ^置かる 

〇 十月 二十 二日 臺灣 事務局 廢, 內務省 に 臺灣課 新 鼠 

〇 十一月 五 H 匪徒 刑罰 令發布 土匪 討伐 開始 

明治 三十 二 年 

〇 二 《T1 日 總督府 文官 服 制 む 

〇 三月 三十 一 日 罾學校 官^ 發布 

〇 四月 ニ卞 六日 食^ 專賣规 則發布 

〇 六月 二十 二日 攛 腦專賫 規則 發布 



〇 八月 暴風雨 被害 多し 

〇 九月 二十 六日 臺灣 銀行 營 業.^, 開始す 

〇 十月 七日 鐵道部 官制 發布 

明治 三十 三年 

〇一 月 二 4. 四日 臺灣 新聞 條例同 二十 五日 辯護士 規則 發布 

〇 二月 二士 一日 蕃地の 出入. ず 

〇 七月 一日 臺 北及臺 南に 公衆電話 開設 

八月 十日 基隆 築港 局 官制 發布 

〇 九月 十七 日 臺灣 神社, 化官幣 大社に 列 せらる 

明治 三十 四 年 

〇 五月 專賣局 官制 發布 • 

〇 七月 二日 澎 湖島に 馬 公 要港 部.^ 匱く 

〇 十月 二十 六日 北 白 川 宮^ 殿下 御渡臺 

〇 十月 二十 七日 臺灣 神社 鎮座 式 二十 八日 大祭 執行 

or 1 月 九日 臺灣 總督府 官制 改正 民政 部に 警察 本署 及 総務、 財務、 通 

信、 殖産、 土木 五 局 ^匱く 又 地 カ官 {SB 制 坎正縣 1 及辨, 核 署.< ^錢 止し 

二十 廳 1^ 置く 

明治 三十 五 年 

〇 五月 十六 日 鏖灣 小學が 官制 發布 

〇 六月 十七 日 糖務局 官制 發布 

〇 十月 馬那社 討伐 



(76) 



明治 三十 六 年 

〇 三月 十四日 蕃地 事務 調査 掛新置 

〇 七月 十五 日 兒玉總 督內務 大臣 兼攝 十七 日 又 文部大臣 兼任 

〇 十月 十二 日 兒玉總 督內務 大臣 及 文部大臣 兼任.^ 免じ 参謀本部 次長 

に 補 乜らる 

明治 三十 七 年 

二月 十一 日 兒 玉總督 大本 螫參謀 次長に 稀 せらる 

〇 六月 六日 兒玉總 督滿洲 軍 總參謀 長に 輔 せらる 

〇 八月 九日 內地 移出 来 檢查规 則發布 

〇 十 一 月 六日 嘉義 大地震 死者 百 四十 五 傷 百 五十八 

明治 三十 八 年 

〇 三月 三 十一 日 臨時 土地 調 查局閉 局 

九月 十 一 日 臺 北に 公衆 電燈. ^點^す 

〇 十一月 一日 臨時 戶 口調 查實行 

〇 十二月 二十 九日 兒玉總 督臺灣 に 凱旋 

明治 三十 九 年 

〇 三月 十七 日 翥義 大地震 死者 一 千 百 餘名質 傷者 一 千 九 百 名 

〇 四月 十 一 B 兒 玉總督 參謀總 長に 稀せられ 佐 久間大 將臺灣 總督に 任 

、ゼら る 

〇叫 月 十四日 警察 本署に 蕃務課 置く 

〇 七月 二十四日 《K 玉 前總督 薨去 



〇 十一月 十三 日 後藤 民政長官 本官 > ^免ぜられ 祝 辰 巳 後任 I 

〇 十二月 十五 日 第一 次 彩 票 袖 籤 一 

明治 四十 年 一 

〇 二月 十九 日 島內 長距離電話 開通 丄 

〇 六月 五日 濁水^ 鐵橋 落成 、 

〇 十月 一日 鳳 山鐵道 開通 一 

〇 十 一 月 十五 日 北 墙事蠻 1 

明治 四十 一年 一 

五月 二十 五日 祝 民政長官 死去 一 

〇 玉 月 三十日 松 島^ 澎 湖島に て 沈^ 一 

〇 五月 三十日 大島 久滿次 民政長官に 任ぜら る . 

〇 十月 二十 五日 臺灣縱 貫鐵道 開通式.^ 臺 中に 擧 行す 一 

〇 十二月 十三 日 臺東七 脚 川 蕃人 反抗 . ^ 

〇 十二月 十七 日 南 投蕃界 前進 討伐 開始 . 一 

一 

明治 四十 二 年 " 

〇一 月 二十 七日 南 溥蕃歸 順 

01 一 1 月 二十 玉 日 臺北 水道 開始 ; 

〇 四月 五日 臺柬 巴塱衞 事件 二十 七日 チャロ ギス社 討伐 開始 一 

〇 十月 總瞀 府航に 地方 官 官制^ 正 部局の 廢陧廳 の 際 合 等 あ リー 

明治 四十 三年 一 

〇 五月 二十 二日 宜蘭 方面^す^ ン蕃大 討伐 S 始 I 



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〇 七月 十 B 東鄉大 將來毫 

〇 七月 二十 七日 大島 民政長官 辭職 

〇 八月 十八 B 富 角の 無線 1^ 信 成る 

八月 二十 二日 內 田嘉吉 民政 县官に 任で 

明治 四十 四 年 

〇 八月 令: 島に 亙リ 空前の 大 暴風雨 ぁリ 被害 無算 

〇 十月 十六 日 總督府 官制 吹 正 土木 部 廢し 土木 局 1^ 置き 更に 作業 所 

及 臨時 H 事 部.^ 新設す 

〇 十月 二十 七日 朝 倉 毫朿鹧 县辭任 能 勢 氏 後任と なる 

〇 十 一 月 十八 日 蕃人 チ ャ づ ン 溪 駐在所.^ 製 酸す 

〇 十二月 五日 久保南 投廳县 辭職 石橋 花 蓮港廳 as 〈後.^ 襲 ふ 

〇 十二月 八日 鎏中 奧藩ァ レ社歸 順.^ * 出づ 

十二月 十日 中 田蕃務 花 蓮 廳县に 任命 さる 

〇 十二月 十四日 棗 北 製糖 f 針釗立 さる- -第 一 间の 轉 開始す 

〇 十二月 十六 B 鎏中 配電所 成リ 開業 式.^ 行 ふ 

〇 十二月 十七 日 ぉ竹廳 合流 分 遺 所 蕃人の 襲撃.^ 受け 警, 乱 以下 十 一 名 

死傷す 

〇 十二月 二十四日 北 港 製 糟會社 始業式 擧 行す 

明治 四十 五 年 

〇 一月 二十 二日 北勢蕃 討伐 開始 さる 

〇 二月 二十 七日 下坂 臺銀副 頭取 辭 職す 

〇 三月 二十 三日 林圯 埔支驄 f..^ 林 派出所 十; 匪の 襲撃.^ 受け 三 名虑殺 

さる 



〇 四月 一 日 橫濱 取引所に て 本島 来.^ 代用 来と して 實 施す 

〇 四月 二十 六日 南投廳 白狗社 方面 討伐 開始 

大正 元年 

〇 八月 十六 日 本島 長 崎 間の 梅 底 電線 開通 

〇 八月 1 一 十八 日 暴風雨 襲來臺 北の 風力 一 時間 七十 1 1 哩全壞 千餘戶 

〇 九月 十五 日 暴風雨 襲 來電燈 水道 共に 不通 

〇 十月 1 日 南洋 航路 新に 開かる 

〇 十二月 六日 臺灣及 埔里社 製糖 合併 確定す 

大正 二 年 

〇j 月 二十 五日 郵船 會社朿 海岸へ 新 航路 開始 小 倉 丸 之に 從事 1 

〇 一 一月 十 一 日 南 B 本 製糖 會社 始業式 1^ 擧 行す 

〇 三月 二十 一 日 合歡山 方面 探險隊 凍死 行衞 不明 者 百餘. ^出す 

〇 四月 三十日 寶田 石.! 會社苗 槳袖井 に 噴^も リ 高さ 二十 間に 逢す 

〇 五月 二十 三日 特命 檢閱 使上衬 海軍 大將 渡臺 す 

〇 六月 十三 日 督府 官制の 改革 も リ陶汰 人 具 四百 五十一 名 

〇 六月 二十 五日 新竹^:-蘭桃園廳下蕃族大討伐開始す 

〇 七月 十六 日 佐久間 總督蕃 :;; 討伐 隊 本部に 出張 親しく 指 樺 なす 

〇 七月 十八 日 暴風^ 5^. 來 南部 地方.^ す 

〇 八月 三日 木島官 私設 鐵道營 業 一千 哩祝 賀會. ^開催す 

〇 八月 十日 西侍從武官;!^^^隊視察の爲來臺 

〇 八月 三十 一 日 討伐 行動 終了 各隊 逐次 凱旋す 

〇 十 一 月 二十 六日 土 薛羅ー i 生 等 一 咏 逮捕 審理に 附 せらる 

〇 十二月 二十 一 日 阿 線 線 開通し 南北 縱貰 完成す 



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〇 十二月 二十 三日 臺灣赤 糖協會 成立す 

大正 三年 

〇 三月 十七 日 鹽水港 製糖 臺東 拓殖 會社 合併す 

〇 四月 二日 紀念 物 館 上棟式. ま 行 

〇 五月 十三 日 討蕃 事務 最終の ー擊 加 ふべ く先發 軍隊 臺北, „ ^發す 

〇 五月 三十日 斗 六 製糖.^ 洋 製糖會 社に 合併す 

〇 六月 十日 討 蕃將士 慰 S として 若 見侍從 武官 渡臺 

〇 六月 二十 五日 臺灣 来の 代用 撤廢 さる 

〇 七月 二日 暴風雨 北部.^ 襲 ふ 

〇 七月 二十 八日 鼠疫 臺北 に 現 はる 

〇 八月 二十日 討蕃總 司令官 佐久間 總督臺 北に 凱旋す 

〇 十月 九日 阿 維 鹧枋蔡 支. 1 下 蕃人 內地人 二十 餘 名.^ 殺害す 

〇 十 一 月 三日 新竹廳 長家 永泰 吉郎辭 職し 三 村 三 平 後任と な リ!: 維廳 

畏 佐藤彌 太郞辭 職し 立 川 連 其 後.^ 襲 ふ 

大正 四 年 

〇 一月 九日 龜山前 警視 總長 德島縣 知事に 任ぜら る 

〇 一月 十日 不正 株屋 事件 有罪と 決定す 

〇 一月 二十 二日 县 谷川 參識總 長來臺 

〇 二月 五日 東洋 製糖 北 港 製糖と 合併 確定す 

〇 二月 二 t 一日 同化 會 解散 Y ^命ぜら る 

〇 四月 八日 臺 北に 旅行家 高 左右 飛行機 隼鷹號 1^ 飛翔す 

〇!: 月 九日 鏖灣 銀行 資本 倍額 二 千 萬 圓に增 加 マ 

〇 五月 一 日 佐久 間總督 任.^ 辭じ 安東 大將其 後.^ 襲 ふ 



〇 五月 二十 五 8 討蕃 行賞 發表 人曼千 百餘名 

〇 六月 十七 日 始政紀 念 二十 年式 典 1^ 擧 行す 

〇 七月 九日 臺 南阿 維 廳 下に 匪徒 起 リ內地 人數十 名.^ 虐殺し 遂に 軍隊 

の 出動.^ 見る 

〇 七月 二十 一 日 臺灣勸 業 共速會 官制 發 布せられ 大正 五 年 四月 十日よ 

リ 五月 九日 迄臺 北に 開く、、 と- r なる 

〇 八月 二十日 匪徒 審問の 爲め 臨時 法院. <5 ^肇 南に 開き 十 > 月 二十 八日 

閉鎖す 

〇 十月 一 日 第二 同國勢 調查. ^施行す 

〇 十 《^ 十九 日 內田 民政長官 職.^ 辭じ下 衬宏其 後任と なる 

〇 十月 二十四日 此 日よ リ 四日 間 南北 兩 守備隊の 對抗機 演習 仃ふ 

〇 十 一 月 十 3 臺灣 神社に 於て 御卽位 祭, n 订ひ 長官 其 他の 紀念 植樹 あ 

〇 十 一 月 十六 日 總督府 に 於て 饗^ 拜戴式 行 ひ 此夜臺 北 廳に於 \. -臺 

北 民 合同の 奉祝 宴.^ 開く 

〇 十 一 月 十七 日 安東 總督 大典 奉祝 夜 會.^ 鐵 道ポテ か に 催 ふす 

〇 十一月 二 r 一 日 各廳 に 於て 饗老 1、.^ ズ订ふ 

〇 十一 一月 十 一 日 愛知 縣內務 部長 湯 地 幸 平 總督府 譽視總 長に 任ぜら る 

〇 十二月 十七 日 臺南廳 _ 長 松 木 茂 俊 辭し臺 中廳長 枝德 1 1 之に 代 リ新竹 

廳長三 衬三平 臺中廳 長に 總督府 事務官, 山 仰 は 新竹廳 長に 任ず 

〇 十二月 十八 日 新 高 銀行 總立 創會. ^開く 



七 五 

發 印 
行 刷 



祭 北 城 內面門 街 四十 七番 tl^ 

發行所 雛 臺灣曰 HI 新報 社 



臺北新 起 橫街ニ 丁目 十番戶 

印刷人 柴辻 誠太郎 



大 E 五 年 三月 一 

大ぉ五 年 三月 一 



(定^ 金 拾 五錢) 



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